五行鍼(ごぎょうしん)の活用

鍼(はり)治療に論理性を成立させたくて…

  気?

昔から東洋医学というものは気を頼りにした医学であり、尚かつ論理性が有るかのように言われていますが、私にはそれを理解することが出来ず、東洋医学で言う気の世界とは、なんと曖昧でいい加減なものなのかと思っていました。しかし、私は最近になって初めて、曖昧でいい加減なものと思っていたのもしょうがないことだったと感じています。

何故ならば気というものは、言葉や文字でもって現し切れるものでもなく、また教えられて解るものではなく、感じなければならないものだと言うことが分かったのです。気の世界というものは五感が鋭敏でないと解らないものであることに気が付いたのです。

「黄帝内経[1](こうていだいけい)」の中には気に関しての説明が多くあります。その中で気を感じることの難しさを言い表しているところの幾つかを次に記します。(訳を付けましたが、私は漢文学が専門ではありませんので、完璧なものではありません。読める方は原文のみをお読みください。)

素問(そもん)「八正神明論(はっせいしんめいろん)編第二十六」の中には

「帝曰:何謂神? 岐伯曰:請言神、耳不聞、目明、心開而志先、慧然独悟、口弗能言、

倶視独見、適若昏、昭然独明、若風吹云、故曰神。三部九候為之原、九針之論、不必存

也。」

 注:“悟”は針灸甲乙経では“覚”。

   “慧然(けいぜん)”はさとき貌。

   “昭然(しょうぜん)”はあきらかなる貌。漢書に「至徳昭然。」

帝曰く:神(しん)とは何を謂う? 岐伯(ぎはく)曰く:問いに対し神を言うと、耳

では聞こえず、目に精神を集め、心を開き、感じようと、先に意識をおけば、独り悟る

もので、口では言い難い。共に視、ひとり見ることがきる、衆多に見えず、風が雲を吹

き払うがごとく、優れた者に独り見える。故に曰く神という。三部九候はこの原をなし、

九鍼(くしん)之論必ずしも存在しなくてはならないものではない。

霊枢(れいすう)「九針十二原(くしんじゅうにげん)第一」の中には

「刺之而氣不至、無問其數、刺之而氣至、乃去之、勿復鍼。鍼各有所宜、各不同形、各

任其所爲。刺之要、氣至而有效、效之信、若風之吹雲、明乎若見蒼天、刺之道畢矣。」

之を刺して、気が至らなければ、その回数を問うことなく、之を刺し、気至れば乃ち之

を去り、再び鍼することなかれ。鍼を刺すにそれぞれよろしくところ有り、それぞれ形

(ツボの反応)は同じでなく、それぞれその為すところに任せる。刺鍼の要は、気至っ 

て効果有りとし、効果の確信は、風の雲を吹くが如く、明りを蒼天に見るが如く微妙な

ものである。刺之道つまびらかなり。

霊枢「官能(かんのう)第七十三」の中には

「是故上工之取氣、乃救其萌芽、下工守其已成、因敗其形。

是故工之用鍼也、知氣之所在、而守其門戸、明於調氣、補寫所在、徐疾之意、所取之處。

寫必用員、切而轉之、其氣乃行、疾而徐出、邪氣乃出、伸而迎之、遥大其穴、氣出乃疾。

補必用方、外引其皮、令當其門、左引其樞、右推其膚、微旋而徐推之、必端以正、安以

靜、堅心無解、欲微以留、氣下而疾出之、推其皮、蓋其外門、眞氣乃存、用鍼之要、無

忘其神。」

是故、上工[2](じょうこう)が気を取るのは、乃ち其の萌芽の段階で救い、下工[3](げこ

う)は其のすでに(病気に)成ったものを守り、因って其の形を敗る(体に負担をかけ

る)。是故に医者の鍼を用いるや、気の所在を知り、其の門戸(鍼を刺した穴)を守り、

調気、補瀉[4](ほしゃ)の所在、徐疾の意を理解した上で、取べき所にとる。

瀉は必ず員(鍼先が卵形)を用い、接してこれを転じ、其の気乃ち流れる。速く目的の 

所に刺し、徐々に気が出る。乃ち邪気[5]が出る。(鍼を)伸ばしてこれ(邪気)を迎え、

その穴を大きく揺らし、邪気出ることすなわち速し。

補は必ず方(針先が鋭い)を用い、その皮膚をつまみ外に引き、(鍼先を)其門(ツボ)

に当て、左(手)はその樞(すう)を引き、右(手)は(鍼で)その皮膚を押す。わず

かに(右に)廻しながら徐々にこれを推す。(気の去来を感じるために)必ず端をもっ

て正し、心安らかに静め、心堅にして解くことなく、わずかに留めるを欲し、(意識で

もって)気を下し、抜針は速くこれを出す(抜く)。皮膚の鍼痕を推(お)し、その外

門に蓋(ふた)し、真気[6](しんき)を漏れないようにし、乃ち正気[7](せいき)が残る。

用鍼の要はその神を忘れないことである。

雷公問於黄帝曰:“鍼論”曰:得其人乃傳、非其人勿言。何以知其可傳?黄帝曰:各得

其人、任之其能、故能明其事。

雷公曰:願聞官能奈何?黄帝曰:明目者、可使視色、聰耳者、可使聽音、捷疾辭語者、

可使傳論、語徐而安靜、手巧而心審諦者、可使行鍼艾、理血氣而調諸逆順、察陰陽而兼

諸方、緩節柔筋而心和調者、可使導引行氣、疾毒言語輕人者、可使唾癰呪病、爪苦手毒、

爲事善傷者、可使按積抑痺。各得其能、方乃可行、其名乃彰。不得其人、其功不成、其

師無名。故曰.得其人乃言、非其人勿傳、此之謂也。手毒者、可使試按龜、置龜於器下

而按其上、五十日而死矣。手甘者、復生如故也。」

注:捷疾(しょうしつ)はすばやきこと。北史に「解悟捷疾」。

  審諦(しんてい)はあきらかなり。詳諦。禮記「制度審諦、道徳著明」。

雷公が黄帝に問うて曰く:“鍼論”曰く:その人を得て乃ち伝え、その人にあらざれば

言うことなかれ。何をもってその伝えるべきを知る?黄帝曰く:それぞれその人を得て

その能力に任せればその事をうまくできる。

雷公曰く:願わくば官能とは如何なるものか聞きたい?黄帝曰く:目が良い者は目を用

い、耳が良い者は耳を用い、活舌の良い者は論じて伝え、語りがゆっくりで心穏やかで、

手が器用でこころ定まった者は鍼や灸をさせ、血気[8](けっき)を理し、諸逆順[9]を調え

陰陽を察し諸方を兼ねる。関節が緩く筋肉も柔らかく、心和して調う者は導引行気[10](ど

ういんこうき)をさせ、言葉汚く人を軽んずる者は癰(よう)に唾を吐きかけ病を呪わ

さすべし。爪苦く、手に毒をもって事をなす者は、積[11](しゃく)を按じ、痺[12](ひ)を

押さえさすべし。それぞれ其の能力を得、その方に行かしてやるべきであり、それによ

って名も上がるのである。其の人を得ずば、其の功はなさず。其の師も名は上がらない。

故に曰く:その人を得、すなわち言い、その人にあらざれば伝えることなかれ、この意

なり。手毒[13]というものは、器の下に亀を置き、器の上から亀に手をかざしても五十日

で死ぬなり。甘手[14]は再び生きるがごとき故なり。

 以上のように感覚が鋭敏でないと気の世界はわからないものであることが伺えます。

現実、私の場合は感覚が良くなるに従って、上記のようなことが理解できるようになっ

てきました。

  東洋医学的治療は気の特性を上手に利用

感覚が良くなってある程度気の分類ができる様になってくると、おもしろいことが分かって来ました。それはこの世のものすべてに気が有り、その気はそれぞれに異なっており、また気というものは“人の思い”でもって生じさせたり消えさせたり、集めたり散らせたり、流れを生じさせたり出来ます。また“物の形”や“物の動き”の違いによって気の流れる方向が決まり、“物の材質や色”の違いによって気の質が決まります。そして人と人にあっては、気は多い人から少ない人へと流れるというようなことなどです。

このような気の特性を上手に利用して人の治療に使おうというのが東洋医学的治療法ではないかと思います。その中で“物の形” (“物の材質”も含まれるかも知れません)と気の流れ(気の質)というものが、九鍼[15](くしん)という形が作られるのに深く関わっていたのではないかと思います。

 中国医学史の中には、巫(かんなぎ)という人達が存在していたらしく、巫はどのようなことをしていたかと申しますと、占いや予言に加えて医療行為もしていたのです。当時は巫が医療行為をするということは当たり前のことであって、特に奇異なことではなかったということです。

それが「内経[16](だいけい)」の時代に入って、どのような背景が有ってかは知りませんが、占いや予言と医療行為とが分けられてゆくことになるのです。私が思うに“巫”を五感(或いは六感)の鋭い人だとしたとき、巫が行う治療には能力の差がかなりあったと思われます。 

この巫の能力には色んな分野が有り、一つの言葉では表現することができません。しかし医療として使われる能力は“念力”や“意念(いねん)”という言葉で表現される、人の意志とか思い込みによって気をコントロールする能力が主となります。それで、ここでは巫の能力を“意念”という言葉に置き換えて進めていこうと思いますので、以後は巫の能力をひっくるめて“意念”と呼ばせていただきます。

この意念は個人差も有れば、同じ個人においてもその日の体調や気分によって、かなりの差が有ったと思われます。

このような医療のレベルの差を無くしたいというのと、当時の、金属加工の技術の進歩とが合わさり、道具別による適応症状というか、症状別による定まった道具というものを確立しようとしたと思われます。

それによって“巫”から医療を分離し、単独のものとし、定まった形(目に見える形と効能としての形)というものを決めて、一定の論理性を持たそうとしたと思われます。その時に考え出されたのが九鍼というものではないでしょうか。

しかし、意念の強い者にとっては、鍼が作る気の種類、気の流れを正確に使い分けて治療するよりも、意念を併用、若しくは専ら意念を使って治療した方が楽にできたものと思われます。

何故ならば、古典の中から先人達の様子を伺がうと、異なった理論や手技によって治療をしていて、それぞれが一定病人を治していることや、「内経」の中での施針時の注意事項には、意念が多分に関わっていることが伺えることなどから、治療の中に人の意念が介在していると考えるのが妥当ではないでしょうか。結局、九鍼の段階では意念というものを省くことはできなかったのです。

そして術者の意念というものが、治療行為の中で介在するのは、治療をする本人の意志に依るものと、本人の知らないうちに本人が使ってしまっている場合とが有ることを付け加えておきます。また患者自身の心の中での意念というものがあって、患者が治療を受けた先生若しくは治療行為などを信じ込むことによって、患者自身の気がめぐり病の治癒もしくは快方に向かうということもあります。

素問「八正神明論編第二十六」の最後の“九鍼之論、不必存也” (「形とは本質より生じたものであって、本質がわかっていれば形にこだわる必要はない」ということを言っていると思います。)の意味するものの中には、こういうことも含まれるのではないかと思います。結局、鍼には論理性が成立し難いということです。

  五行鍼の考察

しかし、私は鍼(気を基本とした東洋医学)にもっと論理性を持たせられるのではないかと思うのです。それができないと今後の鍼の発展は望めそうもないし、後進の者にとっても目安、目標になるものが有りません。また患者さんに対しても、医療を曖昧なまま提供するというのは失礼なことではないでしょうか。

それで私は色々と考えあぐねて、一つの道具を作りました。それはどのようなものかと申しますと、意念を使わずに誰が使っても、関連する一つの経絡[17](けいらく)臓腑[18]のみの正気[19](せいき)を増やすことのできるという道具です。

詳しく説明しますと、先にも言いましたが、物の形の違いによって気の動き(流れ)は変わります。霊枢「官能第七十三」の中に“方と員”についての記載があります。これは鍼先が鋭角なのは先より気が出て行き、補法[20](ほほう)に使い、鍼先が卵形なのは先より気を吸い込み、瀉法[21](しゃほう)に使うというものです。九鍼はこの理論と材質としての気の組み合わせが深く関わっていたのではないかと思われます。しかし九鍼では鍼に論理性を確立させることはできなかったのです。その原因は先ほど言った意念でもって病を治せてしまうことに加えて、治療する対象としての気の分類が曖昧なことにあったと思います。

「内経」の中には人の正気を五臓六腑別、十二経絡[22]別、陰気陽気[23]別、衛気営気[24]別など、邪気を風邪(ふうじゃ)、寒邪(かんじゃ)、湿邪(しつじゃ)、燥邪(そうじゃ)、暑邪(しょじゃ)、火邪(かじゃ)、などと言うように、気を細かく分類されているにも関わらず、九鍼の説明をしている文字からは気の分類が数種類しかないのです。これは九鍼を説明している文字が少ないから、説明しきれなかったと言うことでもなく、九鍼を形と材質(多分、金と銀)の組み合わせで分けていたとしても、対象とする気は、陰気と陽気とにしか分けきれなかったと思われます。それ故、多種ある証に的確に対処できる鍼がそろっていなかったのです。これでは色んな食べ物を食べながら、消化酵素が少なくて消化不良を起こしてしまうようなものです。

そこで私に頭にひらめいたのは、「身体を陰陽という二つではなく、もっと細かく分けて治療ができて、加えてその鍼自体に気を流す力が強く、意念を使わなくて済むようなものができないものかと」いうことでした。

そして、サザエのふたが外から内に向かって気が流れていることや、台風の目が下から上に向かって、右回りしながら空気の流れを作っていること、高気圧が右回りしながら上から下に空気が流れていること、などから右回りするに従って外より内に入って行く渦巻き状の図や物、または右回りの動きは、手前より向こう側に向かって気が流れるということを知り、この渦巻きを立体的にすればもっと力が増すのではないかと考えて、ロールケーキのような形を作ると、案の定一段と気の流れが増すことを実感しました。

そしてこの形に五行[25]の色である青、赤、黄、白、黒を組み合わせれば、その色に関わる臓腑経絡のみに正気を増やすことができるのではないかと考え、五色の色紙でロールケーキ状の棒を作って、実験をしてみたところ思った通りものでした(正気が増えたか否かは脈を中心に診ました)。これが今回私が考えあぐねた結果できた鍼です。これを私は「五行鍼」と名付けています。

この鍼は方と員の組み合わせで出来た鍼と比べ、気を流す力が強いので意念でもって気の流れを増してやらなくても必要十分な効果が得られます。

九鍼では人体を陰気と陽気の二つの気に分類(金と銀を使い分けていたとしての話です。もしも一種類の金属だけだったら意念が大幅に関与していたのでしょう)していましたが、「五行鍼」では人体を五つの気(五行)に分類でき、目的の経絡臓腑の気のみを増やすことができます。

九鍼ではできなかった“意念”を使わず、鍼の力だけでその色に関わる経絡、その色に関わる臓腑のみの補法ができるというものです。

鍼治療を主とする者にとっては、診断―治療―確認(検脉[26])という一連の流れは、その多くは術者の感覚に頼るところのものであります。しかしその感覚というものは曖昧なもので、鋭いから正確であるというものでもないようです。鋭いが不正確である場合も結構有るのです。

感覚が頼りにならないと言うことで、ついつい問診に頼り勝ちになるのですが、患者さんの言うことも結構曖昧で、患者さんの身体(気)の状態を正確に伝えてくれるとは限りません。

診断―治療―確認(検脉)という一連の流れの中に、誰が行っても、一定範囲内で、一定した正しい治療というものが一つ出来ると、そこからまた正しい病理がわかり、またそこから正しい生理がわかり、またそこから正しい治療がわかるというように、一つの正しいことから順次別の正しいことがわかって来るのです。当然、感覚に頼るところの脈診[27](みゃくしん)、舌診[28](ぜっしん)、腹診[29](ふくしん)、切経[30](せっけい)なども正確に診(み)られるようになります。また治療の中に隠れていた意念というものを浮き彫りにし易くなり、すべてとは言えませんが意念を省いた治療にかなり近づけられます。この意味で鍼師ばかりでなく、湯液家[31](とうえきか)にとっても意味の有るものではないかと思います。

  五行鍼の作り方と使い方

五行説でいう相生相克関係[32]や、流注[33](るちゅう)やまた流注での子午(しご)関係[34]は本当に有るのか、臓腑の虚実と経絡の虚実を同じに考えて良いものか否か、脈は正気を現しているのか邪気を現しているのか、舌苔(ぜったい)は正邪どちらを現しているのか、また何故、複眼的に証を立てなければならないのか、など多方面に渡り本当はこういうことだったのかと考え直されることばかりで、東洋医学(気を基本とした医学)的論理を検証する上で、これ以上の道具はないと思っています。

次に色々試した結果、一番使い勝手がいいと思われる「五行鍼」の作り方と簡単に使い方と特性を記します。

作り方は、まず、折り紙を五色(白、赤、青、黄、黒、)と、5ミリ幅の両面テープ、白色のティッシュペーパー、を用意します。

折り紙の裏(白い方)を上にして、その上にティッシュペーパーを2ピース、折り紙より一回り小さな幅(14.5センチ位)に切って、奥行きは両面テープの幅を考えて、折り紙より少し短め(13.5センチ位)に切って置きます。折り紙もティッシュペーパーも線維(繊維)の方向をみて、曲がりやすいほうに巻くようにします。

折り紙の上にティッシュペーパーを乗せた状態で、手前より向こう側に向かって巻いていきます。自転車のスポークなどを芯にして巻くと上手くできます。そして最後の端を両面テープで止めて出来上がりです。この状態で気は右より左に流れています。だから左端を穴に当てることによって、補法ができるのです。太さは鉛筆ぐらいが使いやすく、できたら二本ずつ用意すると左右の穴を同時に使えて便利です。またツボに当てる側の巻き終わりの左の端を少し丸く切り落としておくと、当てる側を間違うことがありません。(写真のように仕上げます)

 (注):ここでティッシュペーパーを挟むもは空気の層が必要だからです。

次に「五行鍼」の使い方と特性を説明させていただきます。

「五行鍼」の穴に当てる側は前述の通りで、白色は手之太陰経(てのたいいんけい)と手之陽明経(てのようめいけい)、赤色は手之少陰経(てのしょういんけい)と手之太陽経(てのたいようけい)、青色は足之厥陰経(あしのけついんけい)と足之少陽経(あしのしょうようけい)、黄色は足之太陰経(あしのたいいんけい)と足之陽明経(あしのようめいけい)、黒色は足之少陰経(あしのしょういんけい)と足之太陽経(あしのたいようけい)の経絡兪穴に使います。

手之厥陰経(てのけついんけい)は赤でいいのですが、手之少陽経(てのしょうようけい)に関しては、心包、腎、脾との関わりが深く、考えなくてはならないところもあるのですが、現在のところ赤で充分な結果が得られています。

交会穴[35](こうえけつ)に使った時にも、その色に関わる経絡のみに特異的に補うことができ、他の臓腑経絡を補うことがないので生理、病理、諸診法、他の臓腑との関係などが感覚を通して理解できます。

この鍼を穴に当てていると、正気を補うことによって、邪気が追い出されるような格好になって、邪気が鍼を伝わって出て来るのを感じます。最後に正気が出て来るのを感じて補法を終えます。霊枢「九針十二原(くしんじゅうにげん)第一」、同「官針(かんしん)第七」、同「終始(しゅうし)第九」などで言うように、邪気は二層になっているようで、鍼を刺すことなくこのことが体験できます。また気が見える人には、竜頭(りゅうず)側[36]から出る煙状のもの(邪気)が出なくなった時が、谷気[37](こっき)が至ったものと考えていいのではないかと思います。

この鍼を支える手は、患者さんの皮膚に直接触れていない方が、正確な治療ができます。術者の体調、体質によっては、手から出る気が治している場合があり、また手が患者の正気を吸って悪化させている場合もあり、また経絡を押さえることにより経気の流れを止めてしまうこともあるからです。

この鍼は先が尖っていないので押圧をかけても鍼痕[38](しんこん)が残りにくく、術後に鍼痕から気の漏れることがきわめて少ないのです。

この鍼はよほどの左右差がない限り左右同時に使い、正気の至った方から終えればいいのです。片側一穴に絞って治療するよりも治療時間は短かくて済みます。

治療時間は、病が軽い人は数分で終われますが、病が重く正気の少ない人は一つの穴への時間も長く、数カ所の穴を使わなければならない事もあり、治療時間は長くなります。しかし、長くなっても術者の正気を持っていかれる事はほとんどないので、毫鍼[39](ごうしん)での補法と比べ術者の身体への負担はかなり少なくて済みます。また、自分自身の体を治療するにも極めて楽に正確にできます。

次に「五行鍼」のみを使って治療した臨床例を次に記します。

  症例

1996年8月9日  

上○ 慶子 女性 32歳

主訴: 左腰痛が常に有り、横臥[40](おうが)で楽になる。

経過: 2週間前に家の引っ越しをした後より左腰痛が出現し、一時は足首まで痛みが及

    んで、膝の前面、足首の外側も痛んでいたといい、現在は食欲不振、おう気が有

    る。また左上歯治療中でもある。

問診: 病歴なし。夜には靴下を履いて寝る程の冷え性である。

舌診: 正気少、淡白舌、少苔(仮苔)、舌先に紅点、左舌辺無苔。

脈診: 浮いて細く正気か無い、尺位は特に弱く沈み気味。

腹診: 少腹腎経に冷え。

背部: 左肺兪、両腎兪、に正気が無く、加えて腎兪深部に硬結、左膀胱兪に圧痛有り。

証 : 左足之太陽経の虚。

治療: 左崑崙(こんろん)―五行鍼(黒)。

    左膀胱兪―五行鍼(黒)。

効果判定: 脈診にて尺位を中心に正気が増し、全体も調う。

      自覚症状としての腰痛も治療直後より消失。

経過: 数日後お会いしたときに聞くと、あれから調子が良いとのこと。

1998年4月9日

渡○ あき 女性 35歳

主訴: かゆみと便秘。

経過: かゆみと発赤は4年前の春より発症、夏にひどくなり、秋に治る。昨年の春以降

    治らず。発症の部位や時間はまちまちで、ひどい時は一日中かゆい。かくと隆起

    する。

    便秘に関しては15年ほど前からで、薬を使って毎日あるが、使わなかったら一

    週間に一回しかない。

問診: 病歴なし。

    嗜好品はコーヒー(日に6杯)、七味、コショウ、たばこ(日に20本、メント

    ール系)。

    手足は冷えているのに自覚的には暖かいと言う。

    その他、特筆することなし。

舌診: 淡白舌、舌根部に仮苔。

脈診: 全体に正気少なく、特に左尺位に正気の虚が甚だしい。

腹診: 少腹力なく、冷えている。両滑肉門も力なし。

背部: 風門(ふうもん)、心兪(しんゆ)、脾兪(ひゆ)、腎兪(じんゆ)、志室(ししつ)、

    が虚。両臀部に冷え。

証 : 腎虚(じんきょ)。

治療: 太淵(たいえん)―五行鍼(白)。

    太谿(たいけい)―五行鍼(黒)。

効果判定: 脈にて尺位を中心に正気の増加をみ、全体も調う。

養生: コーヒーを止め、たばこはメントール系を変えてもらう。食事は温かい日本食を

    よく噛んで食べてもらい、柑橘系(かんきつけい)の果物やサラダ、冷たい飲み

    物は止めてもらう。

経過: 一週間後に来院し、今日までかゆみと発赤はほとんど出ず、便通は毎日あるとの

    こと。

1998年6月18日

松○ 健一 男性 7歳

主訴: ふらつく。

経過: 今朝、目が覚めてから。

問診: 幼稚園に入るころより緊張したり疲れるとチック症状が出る。この4月より小学

    校に入学でまだ馴れていない様子である。

舌診: 舌先が赤く、紅点有り。舌根部に白仮苔。

脈診: 左寸口に正気なし。

腹診: 少腹虚軟で冷えている。心下少し緊張有り。

背部: 両心兪虚で深部に硬結[41](こうけつ)有り。

証 : 心虚。

治療: 霊道(れいどう)―五行鍼(赤)。

効果判定: 脈にて左寸口に正気の増加をみ、全体も調う。

      治療直後より自覚症状消失。

経過: 翌日お母さんより連絡が有り、調子が良いとのこと。

  温故知新

最後に「内経」の時代は文字を木簡(もっかん)、竹簡(ちっかん)に残していたことから、この時代に紙のようなものは無かったことが伺えます。だから五行鍼のような形状は、想像はできたとしても作れなかったのです。おおげさに言うと今だからこそできたのが五行鍼だとも言えます。

                          以上 

                             

                               

[1] 現代の中国における東洋医学の原典的書物で素問と霊枢からなり、多くは問答形式である。

[2] 名医のこと。

[3] 藪医者のこと。

[4] 補は気を増やすこと、瀉は気をへらすこと。

[5] 生体にとって悪い気。⇔正気。

[6] 人体にとって重要な気であり、神や正気と同じようなものに解釈できる。

[7] 真気と同義。

[8] 血(けつ)、気ともに体を構成するもの。

[9] 逆は体の異常なところ、順は体の正常。

[10] 導引は体操のようなもの、行気は気の流れ。導引によって気の流れをよくすること。

[11] 体内に溜まった邪気の固まったもの。

[12] 気が通らないことをいい、痛みやしびれなどの諸症状をともなう。

[13] 気を常に吸っている手と言える。

[14] 正気を常に出している手と言える。

[15] 『黄帝内経』という現代の中国における東洋医学の原典的書物。この中での言葉で、鍼に九種類を用意し、病によって使い分けていた。

[16] 『黄帝内経』のこと。

[17] 人体内において気が通る道路のようなもので、幹線が経脈、支線が絡脈であり、全身を網羅している。

[18] 西洋医学でいう臓腑は目に見える塊でありますが、東洋医学でいう臓腑は、人体の生理機能を分類したものであり、目には見えないものであります。

[19] 人の生命にとっての構成成分的な気。⇔邪気

[20] 気を補うこと。

[21] 気を散らしたり、漏らしたりすること。

[22] 人体内を気が流れる道路のようなもの。

[23] 人の気の中で陰の性質を持った気を陰気、陽の性質を持った気を陽気という。たとえば冷たい気を陰気、温かい気を陽気とする。

[24] 体表にあって外邪から身を守る気を衛気、体内にあって諸機能を潤滑に働かせる気を営気という。

[25] 木火土金水の五つをいい、この世のものを五行に帰属させ、その関わり方に規則性を見いだし、占いや予言、医療の用いるものが五行説である。

[26] 脈診により、治療の効果判定をすること。

[27] 脈を診ることで診断をする。多くは腕関節付近のとう骨動脈で診る。

[28] 舌を見ることで診断をする。

[29] お腹を見たり、触れたりすることで診断をする。

[30] 経絡を見たり、触れたりすることで診断をする。

[31] 漢方薬を使う先生。

[32] 五行説において“木が火を生じる”、“火が土を生じる”というような関係を相生関係といい、“木が土を剋す”、“土が水を剋す”というような関係を相克関係という。

[33] 十二経絡の流れる方向は決まっていて、尚かつ十二本は連なっており、十二本を流れることで全身を一周する。

[34] 十二の臓腑を正円上に並べ、中心を挟んで相対する臓腑の関係。

[35] 二つ以上の経絡に関わっている兪穴(ツボ)。

[36] 鍼において刺す側を反対側の端。

[37] 食べ物から得られる気。

[38] 鍼の痕。

[39] 一般的な刺入する鍼のこと。

[40] 左右どちらかを下にして横になること。

[41]硬いもを触れられること。