健康とは
正気(生体を構成する気、一般的にパワーと解釈していただいてもかまいません)が身体中にバランス良く充実し、滞りなく流れ、尚かつ体表から溢れているくらいの状態を健康と言います。当然のことですが、自覚的症状、他覚的症状のない状態であります。
病気とは
病気とは正気が少なくなった状態をいい、多くは正気の少なくなったところに邪気(体を害する気)が入れ替わって存在しているものです。
正気は生まれつき多い人もいれば、少ない人もいて、平等ではありません。また人の一生での正気の量は、生後徐々に増えて行き、十代から、二十代にかけてをピークにして、徐々に少なくなっていきます。だから幼少期の病気は正気のピーク時に治り、以後加齢とともに色んな症状が顔を出すのです。
症状とは
自覚的、または他覚的(プロの診断も含む)に正常でないと感じられるものを謂い、気の失調がどこかに存在すると考えます。しかし、症状がないからと言って正常とは限らず、気の失調があるにもかかわらず症状が出ないことや、症状に気付かない事は多々あります。
故に症状は病気の診断の参考にはなっても、100パーセント当てになるものではないのです。
病気の原因
病気の原因は一つであることは少なく、幾つかの原因が複合して病気になります。生まれつきの体力(正気)の少ないこと、気弱な性格、食事の時間帯のズレや内容の悪さや量の過不足、咀嚼しない、運動の過不足、空気や水の汚染、騒音、心身の緊張、自然環境の悪さ、睡眠時間の異常と量の不足、加齢による体力の低下などの原因が、幾つかが合わさって病気を引き起こすのです。また、物の材質や、形、色、温度が体に影響し、病気の原因になっていることもあります。
病気の体を健康体に戻すには、ただ治療をすればいいという事はなく、これらの原因の除去(養生)から始まり、これが出来て初めて治療が生きたものになってくるのです。
養生とは
自分の正気を現状より、如何に減らないようにするか、現状より如何に増やすかです。正気が減らなければ現状以上に悪くなることはないのです。正気を消耗する原因は精神的、肉体的な過労、暴飲暴食、房事過多等であり、臨床で良く出会うものを具体的に言いますと、発汗、出た汗の放置、体を冷やす、体温より冷たいものを口にする、咀嚼しない食事、仕事や勉強の過剰、高いプライド、長湯、石鹸やシャンプーを頻繁に使う、風呂上がりの自然乾燥などがあり、これらが意外にも正気を減らしてしまうのです。
正気を減らさないように気を付けるということは、正気の量を一定に保持するということではなく、川の水をせき止めることで水が増えるが如く、正気を使いすぎない(漏らさない)事が正気を増やすことになるのです。
最近、生活習慣病という新語がありますが、これは病気の原因を人体の外の、特定のものに求めようとしてきた考え方を改め、病気は日常生活の中の複合的な原因によって引き起こされているものだという事に気付き始めた結果です。
東洋医学に於いては、生活習慣病というようなものは、数千年前に東洋医学の原典的書物である「黄帝内経(こうていだいけい)の中に記されてあります。
正気を増やすには
正気を増やす一番の方法は食べ物から摂り入れることですが、沢山食べれば沢山の正気(元気)が増えるというものではなく、その人のその時の、消化吸収能力の範囲内の量や質でないと、消化吸収することに正気を使いすぎ、かえって正気を減少させることになるのです。
また、添加物や残留の農薬や抗生物質、化学物質が多いと邪(気)を取り入れていることになり、正気を減少させる結果となります。
食べ物と並んで正気を増やす手段として、空気から取り入れるという方法があります。ただ大気汚染の程度によっては邪気も取り入れることになり、体力次第では病気の原因にもなります。
この二つ以外に正気を増やす方法として、体表から取り入れるという方法があります。これは前述の如く、物は形の違いにより気の流れる方向が決まり、物の質・色・温度で気の性状が決まります。これら物と気との関わりを知り、身の周りにある物の中で、人の正気に近い物を選び出し、その形による気の流れる方向を考え、体にその気が流れ込むようにすれば正気は増えるのです。
例えば、顔色が黄色く見えるときには、胃の気が少なくなっている証なので、黄色い服を着、顔色が白く見えるときには、肺の気が少なくなっている証なので、白い服を着るだけで正気は増えるのです。また、捻挫などで炎症のため熱を持っているようなときは、部分的に正気のうちの陰気が少なくなっているということなので、陰気を増やすことの出来る、サザエの蓋を患部に張ると、陰気が患部に入って熱が冷めてゆくのです。
治療とは
専門家が専門知識と感覚で正確な診断をし、それに則って少なくなったところの正気を的確に補い、全体の正気のバランスをも調えることをいいます。
気を基本とした医療に於いては、望診や切診に重きがあるため、いくら学問的知識が豊富であっても、感覚が鋭くないと正確な診断は出来にくく、また正確な治療も出来にくいものです。しかし、気は人の思いでコントロールできる一面があり、この力の強いものは曖昧な診断であっても、良い治療をすることが出来ます。
正確な診断による治療をマニュアルミッション車だとすると、思いの力による治療はオートマティック車のような物です。マニュアルミッション車は養生というテクニックを使えますが、オートマティック車の場合それが使い難いという違いがあります。
柿田塾での治療は、正気を五種類(五行)に分け、全体のバランスを考え、正気を増やすことに主眼を置き、尚かつ正気を漏らさないような道具を使用します。正気を漏らさないが故に診断に若干の曖昧さがあっても、正気の五種類を同じ程度増す限り過誤はありません。
また正気を二種類(陰気と陽気)に分けて診ることもあり、細かくいうと5×2=10の10種類に分けて、その中の少ない気を補うのです。
治療手段
治療手段は、体表から気を注ぐというようなことを主とします。皮膚に(または服の上から)接触することで気を増やすことの出来る、日用品などを道具として用います。または手指の感覚を鍛えるための訓練道具(パワースティック)や脈診の訓練道具(パワーカップ)を代用したりもします。
それらの道具は正気を漏らすことのない物で、診断が出来なくても、健康にいい物を食べるが如く、病気予防のために使うことが出来ます。また、東洋医学的な知識と術をマスターした物にとっては、薬を使うが如く、治療の道具にもなる物です。
気の事がある程度理解できてきたら、治療手段や治療道具という物は幾らでも身の回りにあることに気が付いてきます。
医療としての位置
柿田塾の医療としての位置は、現代医学も、気功的医療、シャーマン的医療も否定せず、物の気としての性質を使って、人の気をコントロールすることと、生活習慣を正すこと(養生)とで健康になろうという立場をとっています。
医術として
柿田塾は物を使って、人の体外から体内の気をコントロールするという意味に於いて、接触鍼と同じ治効理論を摂り、鍼術としての一面を持ち合わせていることと、「黄帝内経」の医療を目指しているという意味から、東アジアに於ける伝統医学(薬以外)の一流派という立場をとっています。
柿田塾の東洋医学の流派としての理念・特徴
1.虚と実、補と瀉を論じるとき、正気と邪気の区別を曖昧にしたままではなく、正気と邪気とを明確に分け虚実をいい、治療は正気を補うことを専らとする。正気を補うことで邪気の殆どは消失するので、直接邪気を瀉す事は少ない。
2.正気と邪気を明確に分けるには、術として一定以上の感覚が必要である
3.気の去来を手指にて感じ取る訓練道具としてパワースティック、東洋医学的診断(脈診、腹診、舌診、切診)の訓練道具としてパワーカップなどを使用する。
4.感覚には個人差があるが故に、診断力にも個人差が生じます。過誤(間違った治療)を防ぐために、正気を漏らすことのない、尚かつ正気を確実に補える治療手段を選択し、使用する。
5.そのための道具として当流派では、パワースティックやパワーカップを使用し、また、生活用品(サザエの蓋、色画用紙、カラーひも、ヘアードライヤーなど)を代用することがある。それらは全て皮膚に刺入する事はなく、皮膚に接触若しくは皮膚より少し離して使用しても効果の得られる物であります。
6.柿田塾が実践するのは、純然たる気の医学であり、気は人の思いで変化することから、治療に於いて医家の心持ちが重要であると考えます。故に柿田塾に於いて第一に重んじるのは“澄んだ心”であり、第二に“感覚”、第三に“知識”であります。
7.6の意味に於いて専門医療の資格の有無に関わらず学ぶことが出来、志さえあれば当医術を会得することは可能であり、会得されて自分や家族のために用い、家庭医学、家庭医療とされるのも、医療の姿と信じるものであります。
8.柿田塾で学ばれ、一般の方の医療意識や知識、技術が高まることにより、現代の医療界への刺激となり、良き医療の発展に繋がるものと考え、またそれを期待するものであります。
9.柿田塾は現時点で停まり、満足するものではなく、発展し続けるべきものと考えます。
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