東洋医学の原典的古典文献である黄帝内経『素問』上古天真論第一には「游行天地之間.視聽八達之外」とあり、昔の人は空中に浮遊し遠くのことを見聞きしていたとあります。また、扁鵲倉公列伝には、「視見垣一方人.以此視病」とあり、垣根の向こうの者を診断し、治療をしたとあるのです。
これを素直に読むと、昔の医家の中には“超能力者”が存在し、治療においては“遠隔治療”もあったということになります。
これらのことは、現代科学をベースとした常識では考えられないことです。また、これらの時代以降の先人達の多くも、同じように考えていたのではないでしょうか。何故ならばこれらのことを肯定した文献があまり見当たらないからです。
私は接触鍼を主とした治療を行う中で、皮膚から多少離れていても効果があることを認識しました。
また小児の治療においては、小児は静止できず動き回るために、筆者は椅子に腰を掛け、小児は院内で自由に遊ばせ、このような状況の中で治療を行っています。このとき穴処と鍼先とは、数センチから何メートル離れているのです。これは遠隔治療の端っこに入るものかも知れません。
今回この遠隔治療について、筆者の感覚と経験とを主たる拠所として整理してみたいと思います。
一般に認識されている遠隔治療
一般的に認識されている遠隔治療といわれるものは、気功師や拝み屋さんなどによって行われるものをいい、一部の信者的な人を対象に行われているようです。しかし、現代医学的には医療行為とは認められてはいません。その理由は科学的でないということでしょう。
東洋医学は科学?
科学的でないと言うのなら、科学で解明されていない気がベースにある点と、科学的でない概念や理論の組み合わせで成り立っている東洋医学も科学的ないのではないでしょうか。
東洋医学家も信じない遠隔治療
科学的ではない東洋医学にあっても、遠隔治療というものを認めてきた形跡はないのです。“内経”だ“難経”だと古典文献にはこだわりを持っていた先人達も、その中で理解できないところは、知らぬ振り、見ぬ振りをしてきたようです。それはあたかも西洋に於ける、「大勢に判らぬ治療を行う者は、魔女として排除してきた」ことに似ています。
科学って何?
科学とは一般的な人の感覚と知識で、認識できる自然界の法則性といえます。しかし、先端機器や先端理論の組み合わせで得られる法則性などは、一般人には理解できないが、先端科学者を信じることで科学と成り得ているのです。
私はここに科学の大きな落とし穴があると思うのですが・・・。また注意しなければいけないことは、科学と自然界とを比べると、科学より先に自然界があり、自然界の中にある法則性を見出して初めて科学的というレッテルが貼られることから、科学で未だ解明できないことがいずれ科学的なことになる可能性は多分にあるのです。すなわち、現在の科学はこの自然界の全てではなくて、そのほんの一部のみを知り得た程度であるということです。
例えば病名などはその典型です。検査機器の発達や、研究の進歩により、以前は病気でなかった症状が、突然病名が付くという現実は沢山あります。また時には個人や団体組織の利益のために病名を作り上げたり、病気の基準を変えたりされることもあるのです。
要は偽りの科学も存在していることを認識しておかなければならないのです。しかし、世の人々の思考の基本が科学的であることには偽りはないのです。
私が考える科学
私が考える科学とは、広義に於いての科学と、狭義に於いての科学とがあり、広義に於いての科学とは一般的な科学であり、狭義に於いての科学とは個人の能力による違いを認めた上での科学です。
人の感覚には固体差があります。例えば、同じ物を見ても子供と老人とでは、まったく同じようには見えていません。何故ならば、老人は多かれ少なかれ白内障や乱視があり、同じものを見ていても、老人には若干黄色っぽく見えるでしょうし、歪んでも見えているのです。
人が持って生まれた感覚や能力にも微妙に差があり、気というものを感じ取れる者もいれば、感じ取れない者もいるのです。感じ取れる者は広義での常識(科学)の外まで感じ取れていることも多々あるのです。
感じとれる者の中に、気の法則性までを見い出す者がいても不思議はないでしょう。この法則性が狭義に於ける科学なのです。
時には気のレベルを超えて霊のレベルまで感じ取れる者もいますが、ここでは気だけに留めて話しを進めます。
狭義の科学
広義の科学に誤差があるのと同じく、狭義の科学にも誤差が生じる可能性はあります。それは、気は人の想いの加減で変化しやすいものだからです。例えば、「Aという人が、テーブルの上に、直径10センチほどの気の球があるのではないかという先入観で見ていると、気はその通りテーブルの上にあるのです。実はこの気の球はAが自分の思い込みの力で作ったものなのです。しかしAはそのことに気付かず、自分の感覚はなかなかなものだなと自信を持つのです。横で見ていたBという感覚の良い人が、自分にも見えることから、その様子を見て本当にAは感覚が良い人だと感心をする。このAとBとのやり取りをCというAとBよりも感覚が良い人が見ていて、AとBの二人のレベルを見抜くのです。」このように気を感じるには固体差があり、また自分で作り出せるということもあるのです。このように気を客観的に感じるとは非常に難しいのです。
このような気の性質を深くまで認識した上で気の法則性を知る者と、浅いところしか知らないで法則性を見出す者とでは、違った法則が成り立つのです。
以上のように狭義の科学とは、感じられるレベルの違いにより、かなり違ったものとなり、広義の科学しか認識できない者にとって、狭義の科学というものは、非常に曖昧で科学的でないものに映るのです。
信じる者が増えれば認識が変わる
以上のように科学とか、規範、常識、法律などといった区分は、信じる者が増えると、その垣根は取り払われてしまうという曖昧なものであるということがお解りいただけたと思います。
遠隔治療も狭義の科学では肯定されてもおかしくないのですが、広義の科学ではまだまだ胡散臭さが残ります。しかし、現代科学的な研究が進み、法則性がまとまり、使える者が増えれば広義の科学で認められる時が来ると考えます。
現代科学は頻繁に説を変えます。それは進歩しているからといわれますが、前説は間違いだったということもあります。
まさに科学というものが、この自然界の法則性の本質ではなく、その法則の結果として現われてきたものだけを対象としている、要するに真理の尻尾を追い回しているだけであると思われてならないのですが…。そう考えると、科学的な現定説といえども間違いの可能性があるのです。
即ち、現在信じ難い“遠隔治療”もこの先、科学的に認められる時代が来るかも知れません。ただ、その変化をもたらす牽引役は、私ども気をベースにしている医家でなければならないのです。
以下、筆者が長年に渡り研究し、実践してきた遠隔治療について、その種類、治効原理、注意点、訓練法など、まとめてみたいと思います。筆者は主に接触鍼を使った遠隔治療を行っていますので、ここではそれを中心に述べていきます。
遠隔治療における鍼先と患者の皮膚の距離について
遠隔治療を、患者の皮膚から鍼先との距離の違いを比べると、左記の如く分類できます。
① 皮膚と鍼先とが接触
② 皮膚と鍼先とが数ミリから数センチの距離
③ 皮膚と鍼先とが数メーターの距離で視界内
④ 皮膚と鍼先とが数メーター以上の距離で視界外
接触鍼の治効原理
なぜ、前述のように鍼先と皮膚が離れていても治療が出来るのでしょうか。筆者は次のように考えています。
人の気は皮膚を越えて存在(衛気)しており、気のコントロールが治療である医学においては、患者の衛気内に鍼先があれば、気のコントロールは可能です。そのため鍼先と皮膚が離れていても治療は可能なのです。前項の①②はこの範疇に入ります。
人の衛気は一般人においては多少の違いはあるにしても、ほぼ一定です。しかし、訓練をした術者では、目で見ることで気を対象物に繋ぐことができます。即ち視界内に患者の穴処が有れば、意識で以って患者の穴処と鍼先とを気で繋ぐことが出来るのです。この術を用いることで③は行えます。
人は意識や思考を少なくすることで衛気が広がり、その中にあるものは気で感じ取れるのです。これは近くでは対面状態の距離で、遠くは何キロもの離れた距離でも可能となります。
しかし、実験していると、衛気が延びるという変化と、もう一つ別の変化若しくはルートといったものがあるようです。何故ならば以前に日本から外国(台湾やオーストラリア)の患者を治療した経験があり、こちらで治療をし出すと同時に、向こうで変化は起こっていました。このような事実から考えて、衛気が伸びるというよりも、距離を超越できると考えるのが妥当かも知れません。この考えを是とするなら、これにより④が行えるということになるのです。
どのような意識にするのか?
前項のようなことを実行するにはどのような意識を用いるのか?又は訓練を行うのかを次に述べます。
「潜在意識と顕在意識」
意識には顕在意識と潜在意識がある。顕在意識とは今自分が心に想っていることです。潜在意識とは心の本音のようなものであり、経験とか先入観、刷り込みなどに支配されやすいのです。例えば「訓練で遠くのものを感じることができるのだ」と人から聞いたとき、その言葉を、その瞬間信じたら、その瞬間は感じられる可能性はあります。しかし、次の瞬間、経験とか先入観、非科学的なことは存在しないという刷り込み等によって、潜在意識が「信じない」という方向に働いたら、その瞬間から信じない方に意識は働くのです。そして「訓練で遠くのものを感じること」は、当分の間できなくなるのです。
このように意識は顕在意識よりも潜在意識の方が、生体への影響が大きく、能力の多少への影響も大きいのです。
治療家の気をコントロールできる能力は、潜在意識と顕在意識との距離を如何に無くすかということに尽きます。
潜在意識と顕在意識との距離を無くすために・・・
潜在意識と顕在意識との距離を無くすにはいろんな方法があります。例えば①単純に信じ込む②呼吸法を用いる③催眠法を用いる④難経苦行を用いる⑤精神統一を用いる⑥無想を用いるなどです。これらはリンクするところもあり完全に別けることは出来ないのですが、以下に簡単に説明します。
“①単純に信じ込む”;これはその人の性格によるところが大きいのです。即ち、素直な人であり、人の教えを安直に信じ込む人の場合です。例えば、《治療家に対し、下腹部が痛む患者には、患者の合谷穴に、術者の次指先を当てると簡単に治る》と教えると、このような人は潜在意識とのギャップが無いために、術者の想いが直に気を動かし結果となります。
猜疑心が強いとか、常識にとらわれている人なら、これらの意識が邪魔をして効果が減少するか、全く無効となるのです。
“②呼吸法を用いる”;意識のベースは知識であり、知識の多くは本来人間が持っている能力である潜在意識的力の邪魔になっています。この邪魔になっている顕在意識を一つのこと、即ち呼吸に集中することによって、顕在意識と潜在意識との距離を縮めようとするものです。
また呼吸には、行い方によっては気を下げるという働きがあります。例えば、胸でいっぱいに吸い込み、呼気のときに脱力すると、気は一気に臍下丹田に降ります。この臍下丹田に気がある時というのは、顕在意識と潜在意識との距離が近いのです。
また本来呼吸とは無意識に行われているものです。それを意識して行なうことによって、意識(顕在意識)と無意識(潜在意識)との距離が縮まるのです。
“③催眠術を用いる”;催眠術には自己催眠と他者催眠とがありますが、治療家が治療や治療の訓練に用いるのは自己催眠です。自己催眠には色んな方法があると思いますが、結果的にみれば、頭の中にある複数の思考をドンドン少なくし、そこに一つの意識を入れ、入れた思考を頭の中の中心的思考にする訓練です。即ち潜在意識を顕在意識に近づけるというものです。例えば、《難しい病気の患者が来院し、心の中で治せないと感じると、顕在意識と潜在意識共に治せない方に向きます。こんなとき自己催眠の訓練で培った意識コントロール法を用いて、治せないという潜在意識を小さくし、治せるという顕在意識を潜在意識領域にまで浸透させるのです。この力で以って気をコントロールし治療できるのです。》
“④難経苦行を用いる”;難行苦行を行うと、精も魂も尽き、思考できなくなります。この状態は頭を空(くう)にした状態と似ており、潜在意識もなくなっているのです。この状態で意識することは、即潜在意識なのです。この時に“私は治せる”という意識をすると、それが潜在意識となるのです。しかし、この時、正気が充実していないために、意識を持った邪気に侵入されやすいという危険を伴います。意識を持った邪気に侵入されて得た力の多くは、空で得られた力とは似て非なるものです。
“⑤精神統一を用いる”;人は普段色んなことを思考しています。それは2つや3つではなく10は簡単に超えているでしょう。例えば、主婦が掃除をしているときを想定すると、《1.あと5分であのテレビが始まる。2.もう息子が学校から帰ってくる。3.ご飯を食べさせなくては・・・。4.塾があるから、早くしないと・・・。5.姑が今朝腹痛を訴えていたがどうなったかな・・・。6.痛い!蚊かな?ダニかな?7.お腹がへった。8.冷蔵庫にケーキがあったな。9.トイレに行きたくなった。10.しかし、痔があるので行きたくないな。》などというように人の思考は、次から次へと、また同時に複数生じ大変なのです。このような複数の思考を、精神を一つに集中することで、10個思考がしていたものが、9個無くなります。この状態というのは潜在意識と顕在意識との距離がかなり接近しているのです
“⑥無想を用いる”;意識を空にした時には潜在意識とか顕在意識とかという区別もなくなります。この状態で少しだけ心に想うと、それは顕在意識であり潜在意識なのです。即ち、想ったことが気を介して、対象としての気の変化が即行われるのです。私は潜在意識と顕在意識との距離を無くす方法としては、これが理想と考えています。
遠隔診断の種類
離れたところから治療を行う遠隔治療と同様に、離れたところの人を診断する遠隔診断というものもあります。遠隔診断がなくても治療はできなくはないのですが、治療の精度が落ちますし、病因の把握と養生の指導ができません。この意味で遠隔診断は重要なのです。
遠隔診断の手法と分類には次のようなものがあります。
① 無診断
術者は診断することなく、ただ治療だけに専念します。一般人が大事な人の病気治癒のために祈るのはこれにあたります。
② 問診
言葉や文字により患者の訴えを聴き、それを診断のベースとして治療を行います。
③ 脉診
術者の体前にて患者の寸口部をイメージし、その脉を気で感じ取ることによって、臓腑経絡の異常を診断します。この時、脉状(形)は見え難いが、正気と邪気という気の状態では診え易く、故に正邪脉診法※注1が意味あるものとなります。
④ 切経
術者の体前にて患者の切経したい体表部位をイメージし、その部位の気を手指で感じ取ることによって、経絡の異常を診断します。
この方法は物理的な穴処の反応(形)を主とする診法に親しんでいる者には理解しがたいが、正気と邪気という気を主とする診法を行っている者には理解しやすいのです。
⑤ 深部切経※注2
術者の体前にて患者の深部切経したい部位をイメージし、その部位の中の気を手指にて感じ取ることによって、東洋医学的臓腑経絡や現代解剖学的な異常を知ることができます。
この方法は物理的な穴処の反応(形)を主とする診法に親しんでいる者には理解しがたいが、正気と邪気という気を主とする診法を行っている者には理解しやすいので
す。
これは現代医学的解剖や生理、病理と、東洋医学的臓腑経絡との関わりを、ある程度理解できていないと用い難いのです。
また、“前腕下腿診法※注3”を用いると、簡単に虚した経絡を判断できるのです。
⑥ 透視
前記の④⑤を、手指を用いずに、術者の気で感じ取る方法で、上達すると器官が立体的に見えます。
⑦ 解剖学的診断
これは現代解剖学的な器官単位で診るということであり、前記⑤⑥の体内の気の区分と重なります。
⑧ 大雑把に・・・
これは東洋医学的な臓腑経絡や現代解剖学的な器官単位で分類するものではなく、人の身体全体を大雑把に正気の多い少ない部位や邪気の存在部位を感じ取ります。この時、手指を用いて感じ取っても良いし、術者の気で感じ取っても良いのです。
具体的には術者の体前で患者の全身をイメージして行います。
遠隔治療の種類
遠隔治療は遠隔診断と比べれば比較的簡単です。しかし遠隔治療が簡単というのではなく、遠隔診断が非常に難しいということなのです。先ほどは接触鍼を用いた遠隔治療について述べましたが、他にも遠隔治療の治療には次のような種類があります。
① 漠とイメージする
細かなことは考えずに、ただ患者が良くなることだけを心で想います。これで患者の気はオートマティックに調い良くなります。
② 手
手で感じた虚の部位に対して、正気が増えることをイメージします。この想いで気が増えます。
③ 接触鍼(五行鍼※注4)
臓腑経絡的診断の後に、関わる穴処をイメージし、そこに対して接触鍼で正気を補うことをイメージします。正気が補われると同時に邪気が鍼を伝わって出てきます。これらのことを、鍼を持つ手指で感じ取ります。筆者の場合、五行鍼を用いています。
④ 透視
体内の状態が正気と邪気との区分で観えてくると、虚の処に正気が増えることをイメージします。この想いで気が増えます。
透視の場合、器官や内臓が立体にて鮮明に見えた時、多くはこの時点で正気は増えて調っています。即ち、正気が増えるというイメージもいりません。
遠隔治療時の注意事項
これには5つあります。
① 眠いときに行うと寝てしまいます。無理して起きようとすると過緊張となります。だから遠隔治療は体力が充実しているときに行うのが望ましいのです。眠いときの遠隔治療は、時間はかかる上効きが悪く、時に悪化させることもあります。
② 患者を診断するにあたって、客観的に診る能力がない者が、先入観で実際と違った診断をし、そのことに気が付かずにいることがあります。これは“養生の指導が的確にできない”とか“元々なかった病気を作ってしまう”などの危険があります。
③ 遠隔治療時、術者が力むと気滞が生じ、その気滞が患者に投影され、患者の体内に気滞を生じさせることになります。それ故、緊張するタイプの者、興奮するタイプの者、うつに陥り易いタイプの者、パニックに陥り易いタイプの者は遠隔治療には向きません。訓練により改善できれば問題はありませんが、改善されるまでは用いないのが賢明です。
④ また、毫鍼でも同じですが、喜を省く六情が多い者はそれらの邪を補うことになるので、これらの邪が多い者も遠隔治療には向きません。
⑤ 加えて霊媒体質の者で自己コントロールできない者も同じく向きません。
このように向かない者は、呼吸法や姿勢法、歩行法、瞑想法、無想法、内観法などの訓練や、治療を受けて、一定のレベルまで体調を上げてからトライすることが望ましいと思います。
遠隔治療が孕む危険
遠隔治療は前述したように、大別して二種あります。一つは頭を空(無)にして、それを基本に意識をコントロールし、気をコントロールする方法で、もう一つは意念を中心に行なう方法ですが、後者は非常な危険を伴います。
強い意念というのは人の邪気に化すことがあります。それ故、強い意念で治療を行うと、邪気を患者の中に入れるということになりかねないのです。もし邪気を入れるような治療になっていたら、患者の症状は消失したとしても、同時に増えた邪気により、後にもっと大変な状態を引き起こす可能性を孕むのです。
邪念と遠隔治療
邪念があればある程、空になりにくく、目に見えない邪的意識体に憑かれやすいということがあります。また、目に見えない邪的意識体に憑かれている場合は、空になりにくく、空になると憑いたものは勝手に出て行くのです。目に見えない邪的意識体の力が強いと、空になることを邪魔されます。
時に目に見えない邪的意識体の力で特殊な能力を持っている者がいますが、これと空にして得られる能力とは、似て非なるものです。
このことは非常に重要な点です。
現在筆者が主として行っている、遠隔治療時の四診
問診:遠隔による問診は電話又は事前に対面により行なます。外国人など言葉が通じないとか、時間帯の関係で省略することもあります。
聞診:時に匂いを感じることがある程度で、基本的には行いません。
切診:前腕や下腿を主とした“深部切経法”を用います。症状が込み入ってくると、背部兪穴診を加えたり、内臓や器官単位で“深部切経法”を行ないます。
脉診:“正邪脉診法”を用います。遠隔による脉診の場合、正気の有無を中心に診ます。脉状は接触よる場合ほど、正確には見えませんが、筆者の場合、調子がいいと、邪を寒・熱・硬という形で感じられます。
遠隔診断においては“深部切経法”と“正邪脉診法”は非常に都合が良いと改めて感じています。
遠隔治療のための精神コントロールの訓練
遠隔治療は術者の、精神のコントロールの状態で、効果の度合いが大きく変わります。これは“どのような意識にするのか?”で述べたことと重複するところがあるかも知れませんが、結論から述べると心を空にすることがすべてのベースとなるのです。
しかし、心を空にできるという人は少なく、できる人でも簡単ではないようです。それでも常時10個の雑念を持っている者が、雑念が5個に減ると、10個の時と比べれば、断然5個の方が良いのです。だから少しでも、空になるための訓練は行なう方がよいと考えます。
その訓練法を次に挙げます。
① 姿勢を用いる
姿勢の違いにより心の安定度が違います。筆者が現在最も良いと思う姿勢を次に記します。
椅子に腰掛けても、床に座っても、どちらでも構いませんが、躯幹の正しい姿勢は同じです。まず、仙骨を前後に倒して、仙骨前後の筋肉が最も緊張しない位置を取る→胸郭を胸張りと猫背とを繰り返し、最も緊張のない位置を取る→頭を前後の倒し、前頚と後頚の筋肉が最も緊張しない位置を取る→躯幹を左右に軽く倒し、最も緊張しない位置を取る→最後に股関節の力が最も抜ける位置を探し止める以上のような順で行います。
② 身体の力を抜く
まずは顔の力を抜きます。顔を支配している神経のほとんどは脳神経であり、顔の力が抜けると脳を介して身体全体の力が抜けやすくなります。
次に肩→胸→背中→腹→腰と抜いていき、最後に股関節の力を抜きます。
③ 心の力を抜く
これができて空に成ればよいのですが、簡単にはいきません。心を空にするための暗示は次の三つです。
「肉体を忘れる→心を忘れる→時間を忘れる」
④ 後頭部に気を移す
何かを意識すると、自然に気は額(前頭葉)に集まります。この気を後頭部に移すと自然に気は臍下に降ります。臍下に降りると空に成り易いのです。
⑤ 舌を上顎から外す
気功の小周天などでは舌は上顎に付けるらしいのですが、上顎に舌を付けると任脉の気は通り易くなりますが緩みにくく感じます。このため空にするのは上顎から舌を外すのが良いのです。
⑥ 任脉を緩める
空に近づくと躯幹の気の流れの一つである、「任脉から入って督脉から出る気の流れ」
が活発になります。しかし、任脉に緊張があると上手く流れません。もしも任脉に緊張があれば、イメージで力を抜きます。
⑦ 呼吸は臍下丹田で行なう
呼吸には、大別して胸式、上腹式、下腹式、全式の4つがありますが、空には下腹式呼吸が最も適しています。
遠隔治療の実際
遠隔治療を行うに当たって、「①患者が目前にいる」「②写真を見て」「③電話で患者の声を聞く」「④視覚的聴覚的に感知できない」などの状態の違いがあり、それらは治療の難易度の差となります。
ここでは接触鍼(五行鍼)を用いての遠隔治療ということに限定して説明を加えます。
①患者が目前にいる
①~④中では最も治療しやすいものです。視覚により患者のすべてが、常時確認できるので、意識は患者を軽く確認しつつ、穴処に鍼先が当たっていることをイメージするだけで、鍼先の気は穴処につながり、患者の正気を増やすことができるのです。術者が衛気を大きく広げることができたら、患者はその衛気の中にあり、非常に治療が行い易くなります。衛気を大きくできなくても目でもって気は繋がっているので、他の遠隔治療と比べれば断然行い易いのです。鍼を伝わって出る、邪気と正気とは実際に鍼先が穴処に当たっているときと全く同じ感覚です。
②写真を見て
遠隔地に居る患者の写真を見て、治療を行うのですが、患者と術者とが対峙しているのではないので、①と比べれば乗り越えなければならないことが少し増えます。写真を見て、その人の穴処をイメージし、そこに鍼先を当てるのです。①同様、鍼を伝わって出る邪気と正気とは、実際に鍼先が穴処に当たっているときと全く同じ感覚です。
③電話で患者の声を聞く
これは視覚ではなく聴覚のみを介して、患者と繋がりをもっての治療です。声を聞くだけでも患者との気は繋がるので、難しくはありません。声を聞きながら穴処をイメージし、そこに鍼先を当てるのです。しかし、電話を切ってから行なうときは若干難しくなります。①同様、鍼を伝わって出る邪気と正気とは、実際に鍼先が穴処に当たっているときと全く同じ感覚です。
④視覚的聴覚的に感知できない
この時、「Ⅰ事前に治療時間を打ち合わしている」「Ⅱ事前に治療時間を打ち合わせていない」「Ⅲ患者と何の打ち合せもない」の3つのケースがあります。難易度はⅢ→Ⅱ→Ⅰの順で難しいのです。
これは患者の身体をイメージし、そこから穴処をイメージし、その中で鍼先を穴処に当てて治療を行います。①同様、鍼を伝わって出る邪気と正気とは、実際に鍼先が穴処に当たっているときと全く同じ感覚です。
以上が遠隔治療の実際ですが、穴処や身体をイメージするというのは精神統一(精神集中)であり、言葉を替えれば緊張です。感じ取る力は心が空になればなるほど鋭く正確になります。遠隔治療というのは、この相反する二つの精神状態の組み合わせです。精神統一が過ぎると空からは離れ、空に成り過ぎると精神統一が出来ないのです。この相反する二つを如何に組み合わせるかが、遠隔治療の上達のカギなのです。
プラシーボ云々
世間では遠隔治療に対して、プラシーボ(偽薬効果)だと一笑に付す方も多いのですが、これに関しては左記の如く整理しておく必要があると思います。
・ プラシーボの治効原理
プラシーボというのは、偽薬を、効くと嘘をついて被験者に与えても効果があるというもので、効果があっても科学的根拠がないから効果があるとは認められないというものです。しかし、気的には嘘をつかれた被験者が信じることで、自分自身の思いが自分の気を動かし、自己の体調をよくした、ということは治療効果があったといえるのです。即ち偽薬効果というものは、気的には本当の効果なのです。
・ 遠隔治療はプラシーボではない
しかし、遠隔治療はプラシーボのように患者の想いの力で治すものではなく、純然たる術者の気的力が主体なのです。筆者は相手に遠隔治療を告げずに治療をし、後で結果を確かめるという実験をよくしますが、良好な結果を得ています。
・ 治効実験の危うさ
この種のことを、科学的に結果を出そうと術者を実験台にすることがありますが、術者は皆同じ能力があるものではありません。また術者は微細な環境の変化により大きく能力に差が生じるという繊細なところで治療を行っています。実験の現場に反対意見の者が多く居れば、その者たちの想いの力が、実験結果を反対の方に向けることもあるのです。このようなことを考慮しない実験などは、反対意見の材料に成りこそしても、発展的な結果は得られないのです。
・ 正確な実験とは
遠隔治療の効果がプラシーボか否かを確認するには、知識や知恵の未熟な乳幼児で実験すれば答えは簡単に出ます。
以上のようなことから、遠隔治療はプラシーボの類ではなく、純然たる気の医学の一分野だと認識すべきではないかと考えます。
遠隔治療の対象
治療は希望するが来院や往診で治療ができない患者は少なからずあります。そのようなケースが遠隔治療の対象となり、次のようなケースがあります。①患者が重症で通院できない。②患者が通院できるが遠くて疲れすぎる。③遠すぎて往診ができない。④患者が感染性の疾患で術者が接触できない。⑤患者が化学物質過敏症で、術者が接近できない。⑥患者が静止できず、接触しての治療ができない。⑦人と対面できない対人恐怖症。
遠隔治療の今後
遠隔で体内を観るとき、上達するとズームアップして観ることができます。筆者の場合、常時は出来ませんが、調子が良いと、椎孔内や椎間板の状態を感じたり、大腸内を感じることできます。そして場合によっては拡大して感じることもできます。もっと上達すれば、血管の中とか、胆嚢の中など器官の内側をアップして観ることも可能ではないかと考えています。そうなれば診断と治療の範囲が広がり、治療効果もあがるものと考えます。
最後に
私は遠隔治療に興味を持ち出したのが十数年前、真剣に研究し始めたのが5、6年前になります。遠隔治療に関して、ある程度の整理がついたので、今回まとめてみましたが、まだまだ発展途上段階にある筆者故に不備なところ多々あったと思います。今後もっともっと新たな発見や気付きがあるかと思います。
その時には、今回の内容と違ったことを言っているかも知れません。その説はご容赦ください。
現在、臨床の中で患者と対面して治療が出来ないケースが多々あります。これらの疾患に対して医家はお手上げ状態であり、少数派故に見捨てられがちです。このような患者の多くは病で悩み、医家に見放されて悩み、二重の苦で途方にくれているのです。
遠隔診断や遠隔治療は、このような状況にある患者や医家にとって、一つの光明になるのではないかと思います。
また、体内を現代医学的器官単位で正気の有無を診ることができるということは、経絡学と合わせることで、新たな診断法や治療術の開発につながるようにも思います。
現代医学と東洋医学とは、これまで対立か、取り込みかのどちらかでしたが、この後は融合という形が出来上がるかも知れません。私はそうなることを期待しています。
最後に、筆者が遠隔治療を弟子に教える場合、接触鍼治療を完璧に使い熟せることと、邪念が少ないことを条件にしています。何故なら、遠隔治療は前述の如く非常に危険を伴うからです。
それにも関わらず、今回、ここに公表したのは、黄帝内経『素問』上古天真論第一の「游行天地之間.視聽八達之外」、また、扁鵲倉公列伝の「視見垣一方人.以此視病」などは、現代の鍼灸界では信じられることはなく、かえって世間から東洋医学が非科学的なものと烙印を押される材料になると、目を向けないようにされている方々の意識を少しでも変えられたらという思いからです。
本来の東洋医学は、このように素晴らしいもので、最先端科学に最も近しいところにあるものだということに気づいていただけることを願い、また現在この道を目指されておられる方には、その一助になればと考えています。
以上で今回の論考を終えますが、少しでも興味を持っていただければ幸いであります。そして今後の東洋医学界の発展と、より多くの病人が楽になることを祈り、筆を置きます。
注1 正邪脉診法 :寸口脉中の正気と邪気(形ではない)とを明確に別け、正気の有無を主たる対象とする脉法
注2 深部切経法 :切経は本来体表を診るものであるが、深い部分の気を診る診法
注3 前腕下腿診法:仮の名称ではあるが、深部切経法の中の一つで、前腕と下腿の経絡の明確な区分を利用した診法
注4 五 行 鍼 :五つの色の紙を棒状に巻いて作った、気の去来を感じる為の道具
【参考文献】
『黄帝内経』
東亜医学協会 電脳資料庫 素問
http://aeam.umin.ac.jp/siryouko/digitaltext/somon.htm
『史記』 扁鵲倉公列伝
東亜医学協会 電脳資料庫 扁鵲倉公伝
http://aeam.umin.ac.jp/siryouko/digitaltext/henjakusouko.htm
柿田塾 塾長
柿田 秀明
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