九鍼とは何?

 刺さなくても効く鍼

 昨今、鍼と言えば刺すものと思われていますが、私は臨床を重ねるうちに必ずしも鍼は刺さなくてもいいのではないかと思うようになりました。(九鍼の中の一つ)を刺そうとして(ツボ)に近づけただけで、または皮膚に鍼先が触れただけで、患者さんから症状の緩解を訴えられたり、脈の好転を見たりしたことが度々有ったためです。このようなことから「黄帝内経」の中の九鍼を調べることにしました。

「内経」の中から九鍼を伺うと、(ただ「内経」の中で九鍼を説明している文字が少ないことや、一度バラバラになった木簡や竹簡を再び組むときの組間違えである錯簡やいい加減な付け加えなどがあったようなので、現存している「内経」をどれだけ信じていいのか問題があります。しかし、今のところこの「内経」を頼りにするしか方法がありません)、その九種類の鍼の中には刺さないで使用したと思われるものがあります。

九鍼に関しては現在までに多くの人によって考察されてきました。そして、それらの多くが考えられた人の時代に使われていた道具や字義を基準にされていたようです。

今回、私は人の治療とはどういうことなのかという視点から、九鍼に関わること、特に形状や使い方を中心に考えてみたいと思います。その中で刺さない鍼の存在も明らかになってくるような気がします。

  気を調えれば病は治る

治療の本質を知るには、その前提である病理や生理を知らなければならないのですが、実はもう一つ前の気というものを知ることから始まるものではないかと思います。それは人の生命としての気、邪気[4]としての気、物質としての気、そして気の特性(物の形による気の流れる方向、正気を補えば邪気が漏れる、物質の形状によりその物質より流れ出た気はその物質の気の性質を有する、気は人の思い込みで変化するなど)などについてのことです。

このような気のことについてわかれば、気を基本とした人の生理、病理というものもわかり、そして治療には、どの気をどのように操作すればいいのかがわかるでしょう。  

またその気を操作するのに、物の形状による気の動きや、材質による気の性質がわかっていれば、どのような道具を使えば、その操作が楽に出来るということがわかるはずです。それが形になったのが九鍼ではないかと思います。言いかえると気のことがわかっていると「治療に便利な道具はこのような形になりました」というのが九鍼なのかも知れません。

また九鍼を使っていたそれ以前の時代の鍼というのは、石や骨を加工した原始的な道具を使っていたかのように思われ勝ちですが、それはかなり前の時代のことで、九鍼の少し前の時代というのは、巫(みこ)の世界というか、まじないや祈りや念力(人の思い込む力)などによって病を治していたと思われます。実際、唐の時代には“呪禁科(じゅごんか)”、明の時代には“祝由科(しゅくゆうか)”という、巫が行うような治療が国の定める医学教育の中の科目として有ったそうです。

病は気の失調であり、それを調えるのが治療であり、そして気というものは人の気持ちで動くものだとしたら、道具を使わなくても治療は出来ることになります。だから祈りや念力によって病を治していたと考えても何の不思議もないでしょう。今流行りの気功でいう意念[5]も、念力や祈りも、皆同じものではないかと思います。しかし祈りや念力でもって正確な治療をしようとすれば、かなり高度な技が必要だったでしょうし、治療効果には術者によりかなりの差が生じたと思われます。それが一般人から見れば誰が上手で誰が下手なのか、また誰が本物で誰が偽物なのか判断がつきません。このような医療に於いての曖昧さや上手、下手を無くして、治療のレベルを一定に揃えるために作られた道具が九鍼だったのかも知れません。

  九鍼の分析

以上のようなことを踏まえ、九鍼について考察して行きたいと思いますが、鍼の形状と気の流れに関しては霊枢[6]「官能篇第七十三」[7]の「方と員」の気の特性を軸にして行きたいと思います。

まず先に私流の、霊枢「官能第七十三」の中の「方と員」の解釈は次の如くです。

霊枢「官能第七十三」に「瀉必用員……」「補必用方……」と有り、ここでの「方と員」は形状のこととして捉え、方とは主に鋭角を言い、鋭角は先より気が出て行き、鈍角は先より気を吸い込む。員とは卵形や円形、球形を言い、曲面の方から気を吸い込む性質が有るというものです。

 「内経」の中の九鍼に関しての記載は、主として霊枢「九鍼十二原篇(くしんじゅうにげんへん)第一」[8]、同「官鍼篇(かんしんへん)第七」[9]、同「九鍼論(くしんろん)第七十八」[10]の中にあり、それらを併せて記し、それに私の考えなどを付け加えて行きたいと思います。

原文の後に有る数字は(1)が霊枢「九鍼十二原第一」、(7)が同「官鍼第七」、(78)が同「九鍼論第七十八」のことです。

また写真は私が銀や銅で九鍼を作ったものです。

「ザン鍼」

「一曰ザン鍼、長一寸六分。」(1)

「ザン鍼者、頭大末鋭、去寫陽氣。」(1)

「病在皮膚無常處者、取以ザン鍼于病所、膚白勿取。」(7)

「一者、天也。天者、陽也。五藏之應天者、肺也。肺者、五藏六府之蓋也、皮者、肺之合也、人之陽也。故爲之治鍼、必以大其頭而鋭其末、令無得深入而陽氣出。」(78)

「一曰ザン鍼者、取法於巾鍼、去末寸半、卒鋭之、長一寸六分、主熱在頭身也。」(78) 

・“ザン”(1)とは鋭きものとか、切るなどの意味が有ります。また鋤(すき)という意味があり、手で持って使うもの形は長方形に近く、牛で引いて使うものは、木で組んだものの先端に付け、形はほぼ二等辺三角形で、どちらも金属製ということです。このことから板状ではないかと考えられます。

・“頭大末鋭”(1)というところの頭と末というのは、どちらが鍼先側で、どちらが竜頭[11]側かが定かではありません。しかしこの鍼は陽[12]を瀉す[13]と言っていることを考えると、鍼体に気を吸い込むような、または身体より気を吸い出すような機能を持つ形状だということが想像されます。これを「方と員」のことから考えると、ここでは頭大というのが皮膚に当たる側で、末鋭というのが反対側(竜頭側)ではないかと思われます。

・“去寫陽氣”(1)と“膚白勿取”(7)からわかることは、陽気を瀉すものなので、皮膚が白くなって陽気の虚したところには使えないということです。

・“病在皮膚”(7)と次に出てくる員鍼が分肉間(皮膚より深い所と思われる)と言われる所を対象にしていても、刺入しないと思われることから考えても、治療するのに鍼を刺す必要はないように思われ、接触鍼[14]の範疇に入るものでしょう。ザン鍼は接触鍼と考えた方が妥当でしょう。

・ “取以ザン鍼于病所”(7)から経絡や皮部には関係なく、病む所に直接鍼をしているようです。

・“巾”(78)はキレ、フキン、手拭い、ずきんなどの意味があり、平たいものの様に思われます。また“巾”を頭巾と解釈すれば“頭大末鋭”を三角帽子のような形にも考えられます。しかしザンという字義には斬るという意味が有るのと、鋤という意味が平たいものを表現しているようなので、三角帽子という形は違うように思います。この鍼を平たいものと考えた時に、鍼の幅を想像すると、霊枢「九鍼論第七十八」の、ヒ鍼の説明の中に「五曰ヒ鍼、取法於劔鋒、廣二分半、長四寸……、」と有り、劔峰という表現を使っています。“劔鋒”も“巾”も共に平たいものをいい、“劔峰”は細長いことを意味し、“巾”は“劔峰”より正方形に近い形を意味していると思われます。

・ “去末寸半”(78)に関しては、「鍼灸甲乙経(しんきゅうこうおつきょう)[15]」と「医心方(いしんほう)[16]」の中で、“去末半寸”としていますが、一寸五分と読んで、端の一分のところに刃が付いていたものと考えた方がよいと思われます。この時板状のものとして、それに一分の幅で刃を付けると板の厚さによって刃先の角度が変わります。陽気を瀉すものとしたら、この刃先は鈍角でなければなりません。必然的に板といっても厚みはかなりあったと思われます。

・ここでいう長さの単位の寸、分は時代によって異なっています。尺骨の長さを一尺としているようですが、身長が違う為か?はかり方に違いが有った為か?わかりませんが、かなりの差が有ります。現存の「内経」が作られたのは戦国時代から唐代に渡っていたと考えられ、一寸の長さも戦国時代には2.25センチメートルで、時代と共に長くなり唐代では3.11センチメートルだったということです。「内経」の元は戦国時代あたりなので、一応ここでは一寸を2.25センチメートルということで進めて行きます。

 以上のことから考えると、形は二等辺三角形で厚みのあるものと思われます。これは長さ(高さ)4センチ位で、底辺は2センチ位で、長い二辺の頂点は鋭角であり、板状の厚みは数ミリで、底辺には鈍角な刃が付いたと思われます。また鍼体を横から見た形も頂点にゆくに従って鋭く尖らし、気を流す力を一段と強めていたと思われます。私は銀で幾つか作りましたが、作っている私自身の身体が芯から冷えてしまいました。冷やすような鍼を作るには体力がないと危険であることを実感しました。使い方は二等辺三角形の底辺部分の、鈍角の刃の部分から気が吸い込まれ、頂点部分の尖った方から気が出て行くので、底辺部分を皮膚に当てることにより瀉す事が出来るのです。材質は陽気を瀉すということで金属だと銀を中心としたものと思われ、金属以外のものだったら骨や角なども考えられます。

軽い火傷や日射病、熱射病のようなものに使われたのではないでしょうか。

(上段左端)

「員鍼」

「二曰員鍼、長一寸六分。」(1)

「員鍼者、鍼如卵形、揩摩分間、不得傷肌肉、以寫分氣。」(1)

「病在分肉間、取以員鍼于病所。」(7)

「二者、地也。人之所以應土者肉也。故爲之治鍼、必トウ其身而員其末、令無得傷肉分、

傷則氣得竭。」(78)

「二曰員鍼、取法於絮鍼。トウ其身而卵其鋒、長一寸六分、主治分間氣。」(78)

・“員鍼”(1)の“員”とは“円”の昔の字ということです。故に“員”からこの鍼の形の中に、曲線や曲面、若しくは球や半球形などが関わっているのではないかと想像出来ます。また素問「八正神明論篇第二十六」に有る、「方と員」の意味を採ると、形のことでは無く、“員”は虚という意味になります。そうすると員鍼は、虚さしめる為の鍼、即ち瀉法の為の鍼、または虚したところに使う鍼、即ち補法の為の鍼と言うように二つの捉え方が出来ます。

・“揩摩分間”(1)の“揩”という意味は“ぬぐう”ということで、“摩”とは“コスル”ということです。“揩摩”という意味を鍼先で物理的にコスルことと考えれば、鍼先は鋭くなく刺さないものと考えるべきでしょう。しかし、分間の意味が、皮膚の下だったとしたら、物理的にコスルということは、刺入した鍼で分間というところをコスルということになり、雀琢(じゃくたく)[17]のようなことになります。それなら毫鍼の方が適当だと思われるので、これは違うと思われます。もしも刺入せず、意念でもって皮膚の上から皮膚の下をコスルようなものだったら、内経が脱しようとしている巫の世界に近づき過ぎることになるのでこれも考え難いでしょう。鍼自体の性能で皮膚をこすることによって、皮膚の下にまで影響するようなことを言っているのなら納得出来ます。

・“分間”(1)、“分肉間”(7)、“分間気”(78)という言葉は、皆同じ意味ものと解釈していいのでしょうか。“分間”、“分肉間”、“分間気”が同じことを意味しているものとしたら問題にしなくてもいいのですが、「内経」の中(素門調経論篇第六十二、霊枢熱病篇第二十三など)にはこれらとよく似た “分ソウ間”という言葉があります。“分肉間”と“分ソウ間”とは、深さを現すような、肉とソウの文字から違うことが想像できますが、“分間”と“分間気”に関しては、“分肉間”、“分ソウ間”のどちらとも考えられます。もしもこの三カ所が別の人に書かかれたとして、“分間”、“分間気”の意味を間違えて、または区別をわからないまま書かれていたのなら、“分間”、“分肉間”、“分間気”という文字に関して深く考える必要もないでしょう。

しかし、“分肉間”と“分ソウ間”について少し整理しておこうと思います。これらは体表部から深部にかけて層に分類した中の一つを言っているようですが、正確な深さがつかめません。仮定として考えると“分ソウ間”というのは“ソウ理”との分け目、この時“ソウ理”の表面側の分け目と裏側の分け目が考えられますが、表面側は“皮毛”という表現があるので裏側のことでしょう。多分“肉”との分け目のことでしょう。また“分肉間”というのは“肉”との分け目のことと考えられます。この時も“肉”の表面側(浅い部分)か裏側(深い部分)かが考えられますが、“員鍼”が皮膚表面より治療を加えるものだと考えると、“肉”の表面側とするのが妥当かと思います。

 だから“分肉間”と“分ソウ間”は皮膚の下側で“肉”の上側の狭い間にあり、皮膚に近い側を“分ソウ間”、“肉”に近い側を“分肉間”というのではないかと思います。しかしそれらを把握するのに物理的な層として把握するよりか、鍼を刺して出て来る気の種類を感じて層を把握したのではないでしょうか。

・“不得傷肌肉”(1)に関して、「太素(たいそ)[18]」では楊上善[19]が“内不傷肌”としています。“肌”と“肌肉”とは同じものを指しているのでしょうか、またはまったく別のものを指しているのでしょうか、別のものだったら“肌”、“肌肉”、“肉”の関わりはどのように捉えればいいのでしょうか。“皮毛”に対して“肌肉”という言い方をしますが、この二つの関係は“肌肉”は“皮毛”に比べて深いところを意味するもであるということは察しがつきます。辞書を引くと“肌”の意味の中には“肉”という意味もあります。現代“肌”という字は“はだ”と読んで皮膚表面を意味していますが、元々は表皮よりも少し深い部分を含めて言っていたようです。このことから考えて強いて“肌”と“肉”とを分けると皮の少し深いところが“肌”で、それよりまた少し深いところを“肉”というのではないでしょうか。そして“肌”の部分と“肉”の部分とを合わして“肌肉”と呼ぶのではないでしょうか。しかし実際には目に見えるものでもなく、臨床的に施鍼[20]をしてその時に鍼を介して感じる気から分類したものかも知れません。

前出の“分肉間”、“分ソウ間”と“肌肉”との関わりを含め、体表から層として分けると、皮毛―皮膚―分ソウ間(分ソウ之間)―分肉間(分肉之間)―(肌)肉―筋―骨というようになるのではないかと思います。これは物理的に境目がわかるものと、感覚で境目がわ かるものとが混在していると思われます。

このように考えた時、員鍼が目標とする“分肉間”はかなり浅い部分ではないかと思われます。

・“以瀉分氣”(1)の“分氣”とは何を言っているのでしょう。“以て気を分けて瀉す”と読めば、「正気と邪気とを分けて瀉す」とか、「陰気と陽気を分けて瀉す」、「陽邪と陰邪を分けて瀉す」などと色んな解釈ができます。

・“取以員鍼于病所”(7)から患部に直接鍼をすることが伺えます。前出の“病在分肉間”で深浅という意味での病所をいい、ここでは面としての病所をいっていると思われます。当時は環境が著しく悪く、外邪[21](特に寒邪)に傷られることも多くあったと思われ、それが経絡[22]に関係なく広範囲に進入された状態のことではないでしょうか。

・“トウ”(78)を馬蒔[23]は竹の筒のことと言っています。これを素直に取り入れると“トウ”はパイプ状ということになります。しかしパイプ状のものだとしたら“卵其鋒”の尖っているその先が丸いという形状を作り難くいので、“トウ”は竹に似たようなものと考えて、パイプ状でなく、中の詰まった円柱状を意味しているものと思われます。“鋒鍼”のところでも“トウ”という表現が使われていることから考えて、一定太いものであることを意味していると思われます。

・ “員其末”(78)と“卵其鋒”(78)から伺えることは、両方とも端のことを言っているらしく、それが同じ端を指しているのか、両端の相反する端を言っているのかはわかりませんが、“員其末”と“卵其鋒”との意味は文字的には違っています。“員其末”からは端が半球形か端に球状のものが付いているものと思われます。また“鋒”とは切っ先、先端との意味があることから、“卵其鋒”は尖った先が半球形になっていることと思われます。

・ “令無得傷肉分、傷則氣得竭”(78)からも瀉法に使った鍼ということが伺え、また補うことによって邪気を追い払うようなものではないようです。

・“絮(わた)”(78)は真綿とか古綿のことを言うらしい。“絮鍼”となると裁縫の時に使う縫い鍼を指すという。前述の“”と考え合わせると、竹で作った縫い鍼のようなものということでしょう。

以上のことから考えると員鍼とは長さ4センチ位で、太さは数ミリ、円柱状で、一方の先端は丸く卵形で、他の先端は水平に切ってあったものと思われます。接触鍼で瀉法に使い、卵形の方を皮膚に当ててこするようにして使ったと思われます。鍼の直径は太い方がこすった時に違和感が少なく、質量が増えるので効果も増すようです。目的とする気が陰気か陽気かで鍼の材質を変えたと思われ、金属だったら、陰気を瀉すには金か銅、陽気を瀉すには銀、若しくはそれらを中心とした合金だったと思われます。金属以外のものだったとしたらザン鍼同様骨や角なども考えられます

(下段左端)

「テイ鍼」

 「三曰テイ鍼、長三寸半。」(1)

「テイ鍼者、鋒如黍粟之鋭、主按脈勿陷、以致其氣。」(1)

「病在脈、氣少當補之者、取之テイ鍼于井分輸。」(7)

「三者、人也。人之所以成生者、血脈也。故爲之治鍼、必大其身而員其末、令可以按脈

勿陷、以致其氣、令邪氣獨出。」(78)

「三曰テイ鍼、取法於黍粟之鋭、長三寸半、主按脈取氣、令邪出。」(78)

・“テイ”には“鋒”(きっさき)、“鏑”(やじり)、などという意味があります。

・“黍粟”(1)に関して、“黍(きび)”は昔、量目を計る単位としたことにより、極めて少ない意味に用いられていました。“粟(あわ)”は衆多のことに用い、そこから小さいという意味も有ります。

・“主按脈勿陷、以致其氣”(1)の“按”と“陷”について、「内経」の中で鍼の手技を言うときに、“切”“按”“陥”“内”“転”“入”などが有り、この中で“切”“按”“陥”は皮膚の中に刺し込むことではなく、接触のことを言っているようです。これらは押圧の程度の差で“切”“按”“陥”を分けているものと思われます。即ち“切”は軽く触れる程度をいい、“按”は“切”より少し強い押圧をいい、“陥”は“按”より少し強い押圧で、鍼先が皮膚に刺さる少し手前ぐらいの程度をいうのでしょう。だからここでは、押圧をかけてもきつくしてはいけないと注意をうながしているものと思われます。またここから想像できることは按じて刺さらない程度ということで、鍼先は鋭利でないということです。そして“以致其氣”はこのような手技により正気が至るということでしょう。

・“病在脈、氣少當補之者、取之テイ鍼于井分輸”(7)ここから補う為の鍼であることがわかり、そして井栄分輸にテイ鍼をすることによって、気の少なくなったものを治すことが出来るということです。この時の“脈”とは経脈、絡脈のどちらのことを意味しているのでしょうか、またまったく別のことを言っているのでしょうか。

井栄分輸が治療するのに都合がいいことを考えると、井栄というのは五兪穴の中で四肢末端の穴であり、これらは絡脉が占める割合、即ち皮膚から経脉までの深さがが浅く少ないと言えます。身体に対する影響力は絡脉より経脉の方が大きく、その意味で経脉にアプローチし易い、井穴、栄穴を使う方が身体を調えるのに都合がいいという意味ではないでしょうか。

分輸の解釈は、五兪穴(井栄兪經合)の中の原穴を意味することや、五兪穴の中で分けると井穴、栄穴がよく効くという意味などが考えられます。

・“必大其身”(78)から鍼体が細く小さなものではないということが伺えます。

・“員其末”(78)からどちらかの端が半球形か、球形になっていると思われます。棒状のものの端が球状になっていると、気は球に集まって鍼の中を流れ難くなります。だからここでいう“員”は半球状を意味していると思われます。「官鍼第七」の“氣少當補之者”から補法に使う鍼ということを考え合わせると、半球状の側が竜頭側であることが想像出来ます。

・“以致其氣.令邪氣獨出”(78)ここの“令邪氣獨出”だけに注目すると瀉法に使う鍼のことのようで、「官鍼」の“當補之者”と相反するように思われますが、邪実の裏には正気の虚が有るという正邪間の虚実関係において、正気を補うことにより邪が出て行くという、補法(正気を補う)と瀉法(邪気を瀉す)が表裏であると思われます。

 以上のことからテイ鍼は長さ8センチ位、円柱で太さ数ミリ、片側は半球形、他の片側は円錐形で、その先端は小さな半球形。使い方は尖った方を皮膚に当て、刺さない接触鍼で、補法に使ったものでしょう。員鍼と同様、目的とする気が陰気か陽気かで鍼の材質を変えなくてはならないので、金属で分けて二種類のものがあったかも知れません。使い分けが有ったとしたら、陰気を補うなら銀、陽気を補うなら金か銅、若しくはそれらの合金と思われます。

(上段左から二本目)

「鋒鍼」

「四曰鋒鍼、長一寸六分。」(1)

「鋒鍼者、刃三隅、以發痼疾。」(1)

「病在經絡痼痺者、取以鋒鍼。」(7)

「四者時也、時者、四時八風之客於經絡之中、爲瘤病者也。故爲之治鍼、必トウ其身而鋒    

其末、令可以寫熱出血、而痼病竭。」(78)

「四曰鋒鍼、取法於絮鍼、トウ其身、鋒其末、長一寸六分、主癰熱出血。」(78)

・“鋒(ほう)”とは“切っ先”、“先端”、“ホコサキ”などの意味がある。

・“刃三隅”(1)は今でいう三稜鍼[24]の刃先と同じと考えていいと思います。なぜ三角錐でなければならなかったのかということを考えると、鋒鍼が皮膚を刺して血を出すことを目的としたものとしたとき、四角錐以上の多角錐に刃を付けると、刃先を一点にする事が難しく、刃先は線状になり易くなります。線状になるということは、刺す時に痛みを感じ易いとか、傷口が広がり傷が治り難いなどの不都合が生じます。円錐だと刃先は一点になりますが、切りながら刺すのではないので、深く刺せないとか刺した傷口が複雑になり傷が治り難いという不都合が生じます。三角錐だと多少三つの面が不揃いでも、刃先は必ず一点になるので製作し易いという利点があります。また、多角錐の中では三角錐が一番鋭角な刃が付けやすいので、良く切れて痛みも少なくて済み、傷も治り易く、生体より血を出し尚かつ生体への負担が最も少ないということから考えて、三角錐が最も適当な形ではないかと思われます。

・“痼疾”(1)は<詩・東方之日>の中で“謂積久難治之病”とあることから考えて“痼疾”は正攻法では直せない病のようです。当然正気の弱りは著しいものと考えられ、それを気血を漏らすことによって治すのですから、鋒鍼での治療というのは“一か八か”  のかなりリスクを持ったものと思われます。

・“トウ”(78)は員鍼のところでも言いましたが、少し太めの円柱を意味するものと思います。

・“絮鍼”(78)も員鍼のところでいったように、縫い鍼のことを言うようです。

・“爲瘤病者也”(78)の“瘤”は、「甲乙経[25]」では“痼”になっている。

・“主癰熱出血”(78)の“癰”は、「甲乙経」では“瀉”になっている。

以上のことから鋒鍼というのは血を出すことを目的としており、長さ4センチ位、形は太さ数ミリの円柱状の、一つの端が鋭い三角錐になっていて、三つの角にはそれぞれ刃が付けてあるものと思われます。邪気、正気をコントロールするというような微妙なことを目的としていないので、材質や竜頭側の形状にはあまりこだわらなくていいのではないでしょうか。

(下段左から4本目)

「ヒ鍼」

「五曰ヒ鍼、長四寸、廣二分半。」(1)

「ヒ鍼者、末如劔鋒、以取大膿。」(1)

「病爲大膿者、取以ヒ鍼。」(7)

「五者音也、音者冬夏之分、分於子午、陰與陽別、寒與熱爭、兩氣相搏、合爲癰膿者 

也。故爲之治鍼、必令其末如劔鋒、可以取大膿。」(78)

「五曰ヒ鍼、取法於劔鋒、廣二分半、長四寸、主大癰膿、兩熱爭者也。」(78)

・“ヒ”には“大ナル針”、“一種ノツルギ”、“刃のある短き兵器”、“披ト同ジ”などの意味があり、“披”という意味には、“ヒラク”、“分ツ”、“散ル”、“裂ク”などのがあります。

・ “劔鋒”(1)とは“剣の切っ先”という意味があります。

この時代の劔というのは、両刃になっているものか片刃になっているものか定かではあ りません。中国から日本に伝来してきたといわれる副葬品としての銅剣は両刃が多いようですし、中国で剣といえば、青竜刀が思い浮かび、青竜刀は片刃でなぎなたのような形をしています。

以上のことからヒ鍼は、長さ9センチ位、幅5―6ミリ、厚みは使用時に刃がぶれない程度に有り、片刃で先の方にのみ刃が付いて、今でいうメスのような形状ではないかと思われます。刃が両刃だったり、片刃でも根本まで刃が付いていると皮膚を切り開くという行為に於いて医者の手を切るという恐れがあります。そして気の動きがどうのこうのという微妙なことには考慮しないでいいものと思われるので、材質に関しては深く考えなくていいのではないでしょうか。

(上段左から3本目)

「員利鍼」

「六曰員利鍼、長一寸六分。」(1)

「員利鍼者、大如リ、且員且鋭、中身微大、以取暴氣。」(1)

「病痺氣暴發者、取以員利鍼。」(7)

「六者律也、律者、調陰陽四時而合十二經脉、虚邪客於經絡而爲暴痺者也、故爲之治鍼、

必令尖如リ、且圓且鋭、中身微大、以取暴氣。」(78)

「六曰員利鍼、取法於リ、鍼微大其末、反小其身、令可深内也、長一寸六分、主取癰痺

者也。」(78)

・“員利”から“円い”ところと“鋭い”ところの両方を兼ね備えた形ではないかと思わ

 れます。

・“リ”(1)という字について考えてみますと、これは“ヤク”または“唐牛”のことです。大きさは子牛ぐらいで、角は長く、毛も長い。昔、尾の毛で旄(指図旗の意味)を作ったので旄牛ともいう。

またはヤクの尾という意味もあり、ヤクの尾の形は習字の筆を途中で切ってほぐしたような形であって、鍼の形状に結びつくようには思えません。

そしてまたヤクの毛という意味もあります。ヤクの毛を手に入れましたが、取り立てて変わったところも無く、案外細いものという印象が強いだけで、毛の形からも鍼の形状に結びつくようなことは感じられませんでした。

また“曲レル毛”という意味もあります。現物を見る限り軽くウエーブがかかっているという程度で、これも鍼の形状に結びつくようには思われませんでした。

また“釐”という字があり、“リ”と同じくヤクという意味なのですが、“釐”には別に分量を表す意味が有ります。それは“毫の十倍=釐”ということです。これらから毫鍼と員利鍼との関わりがあるのではないでしょうか。かと言って員利鍼の十分の一が毫鍼というわけではありませんが、員利鍼と毫鍼との大小の関係をいっているものとも考えられます。“釐毫” “毫釐”という単語になると、極めて僅少なる数量、秋毫などの意味になります。

・“且員且鋭”(1)は“又員且鋭”だという説も有る。いずれにせよ、どこかが丸くどこかが鋭いということでしょう。鍼先が円錐で鋭く尖っているが先端だけが小さく卵形にしてあるもの、または一方の端を鋭く尖らし、他の一方の端を卵形のしてあるたもの、両端を円錐形にして、片側の先端だけを半球形にしてあるものなどが考えられますが、「方と員」の理論と“以取暴気”、“中身微大(中身わずかに大きい)”などから考えると、二つ目、三つ目のが近そうです。

・“中身微大”(1)を「中身わずかに大きい」と読むか「わずかに大きい方を身に当てる」と読むかで意味は変わります。

・“以取暴気”(1)から瀉法に使う鍼であるということがわかります。“暴”とは“にわかに”とか“はげしい”という意味が有ります。この意味から突然と襲われた外邪によるものに対する治療と思われます。

以上のことから考えると員利鍼とは長さ4センチ位、太さは毫鍼よりやや太く、両端は円錐形で、鍼先の先端は少し丸くしてあり、竜頭側は鋭く尖っていたものと思われます。「方と員」の理論から考えて、この鍼の形状は気を吸い出すのに都合のいいものです。刺入する鍼なので細い方が病人に負担が少ないということと、効果を上げるには太い方がいいという相反することを考え併せて、太さは毫針よりは少し太く作ってあったのではないでしょうか。この時、対象とする邪気は寒熱両方考えられ、鍼の材質も二種類用意してあったのではないでしょうか。陽気を瀉すのだったら銀、陰気を瀉すのだったら金または銅、若しくはそれらを主とした合金ではないかと思われます。

しかし、鍼の質量が小さい為に一種類の材質で、寒熱のコントロールは意念で以て行っていたかも知れません。また、質量が小さいことから形状としての気を流す力も小さく、臨床的には形状に関してここまで詳しく考える必要もなかったのかも知れません。

(下段左から2本目)

「毫鍼」

「七曰毫鍼、長三寸六分」(1)

「毫鍼者、尖如蚊虻喙、靜以徐往、微以久留之而養、以取痛痺。」(1)

「病痺氣痛而不去者、取以毫鍼。」(7)

「七者星也、星者人之七竅、邪之所客於經、而爲痛痺、舍於經絡者也。故爲之治鍼、令

尖如蚊虻喙、靜以徐往、微以久留、正氣因之、眞邪倶往、出鍼而養者也。」(78)

「七曰毫鍼、取法於毫毛、長一寸六分、主寒熱痛痺在絡者也。」(78)

・“毫”とは細い毛。秋になった獣の毛。また、前述のように分量の名で毫の十倍が釐で、また“釐毫”“毫釐”を少しばかりの意と為す。

・長さに関しての記述が、「九針鍼十二原第一」には“三寸六分”(8.1センチ)、「九鍼論第七十八」には“一寸六分”(3.6センチ)というように違った二つがありますが、員利鍼と比べた時に、員利鍼は浅い所を目標にし、毫鍼はそれよりも深い所を目標としていると思われます。そこから考えると員利鍼が一寸六分だとした時、毫鍼はそれよりも長いと考えても不思議はないと思います。かといって三寸六分に決めてしまう必要もないと思われ、現代の毫鍼のようにいろいろな種類があったと考えていいのではないでしょうか。

・“尖如蚊虻喙”(1)での“喙”とはクチバシのこと。故にここは、“蚊虻のクチバシの如く刺しても痛みを感じないくらい細く尚かつ先は鋭い”ということでしょう。

・“靜以徐往”(1)は“心静かにして、徐々に刺して行く”ということで、補法の手技を言っているのでしょう。

・“微以久留”(1)は“正気が少ないところに久しく留める”ということでしょう。故にここからも補法ということが伺えます。この時手を離して置いておくのか、手を添えたままにしておくのかが問題なのですが、現在多く使用されている鍼の形状は、刺したまま放置しておくと気は鍼先より竜頭側に流れて行きます。即ち瀉法になります。しかし邪気が出た後に正気が寄ってくるという意味では補法になります。外より正気を入れるような補法にするには、患者より正気の多い者が鍼を持っているか、術者の意念でもって気を送り込むしかないと思われます。どちらの意味での補法なのかがわかりませんがその後の“而養”から後者ではないでしょうか。

・ “以取痛痺”(1)は正気を補うことによって、痛痺を治すということを言っています。痺症の治療には補法と言って、瀉法と言っていないところに意味深いものがあるように思います。

・“眞邪倶往”(78)は鍼を伝わって正気が流れ入り、または正気を送り込むと、邪気が正気に追いやられる格好になって、鍼を伝わって外に出て行くことを言っているようです。正気と邪気とが道路の対面通行のように流れることを表現しているものと思います。

以上のことから考えると毫鍼とは、補法に使われ、長さ4センチ位から8センチ位の間で使い勝手のいいものを使っていたと思われます。太さは員利鍼よりは細く現代の毫鍼の細い目の太さではないでしょうか。「方と員」の理論と補法の鍼ということを考えると鍼先は鋭く、竜頭は半球形にしてあったと思われます。材質に関しては員利鍼同様、陰気を補うか陽気を補うかによって使い分けをしていたかも知れません。陰気を補うなら銀、陽気を補うなら金か銅、若しくはこれらを主とした合金ではないでしょうか。

また員利鍼同様、鍼の質量が小さいので術者の意念で陰気と陽気を分けていたとも考えられ、同じく質量が小さいことから形状としての気を流す力も小さいので、臨床的にはここまで深く形状にこだわる必要もなかったのかも知れません。

(下段左から3本目)

「長鍼」

 「八曰長鍼、長七寸。」(1)

 「長鍼者、鋒利身薄、可以取遠痺。」(1)

 「病在中者、取以長鍼。」(7)

 「八者風也、風者人之股肱八節也、八正之虚風、八風傷人、内舍於骨解腰脊節ソウ理之間、

 爲深痺也、故爲之治鍼、必長其身、鋒其末、可以取深邪遠痺。」(78)

 「八曰長鍼、取法於アヤ鍼、長七寸、主取深邪遠痺者也。」(78)

・“鋒利”(1)は針先が鋭く尖っているということでしょう。

・“薄”(1)は“うすい”と読むより“細い”と読んだ方が適当だと思います。

・“遠痺”(1)は深いところの痺証と解釈し、毫鍼で痺痛を取るのと同じく補法の為の鍼と思われます。

・“病在中者”(7)も“遠痺”と同じく病が深いところに有るということを言っているのでしょう。

・“股肱”(78)とはモモと肘を言うらしく、次に続く“八節”と合わせると股関節、膝関節と肩関節、肘関節を指すようです。

・“内舍於骨解腰脊節理之間”(78)の“骨解腰脊節”は深いところと思えますが、“理之間”は深いところのものとは思い難く、不可解であります。

・ “アヤ鍼”(78)というのは、一説に縫い鍼の長いものを言うとあります。

 以上のことから考えると長鍼とは、毫鍼と同じく補法に使われたと考えられます。毫鍼が使われるところより尚深い所の正気の虚に対して用いられたものと思われます。長さ16センチ位、太さは現代の毫鍼で言う太目の番手位、鍼先は鋭く尖り、竜頭の形は「方と員」の理論でいうと半球形であったものと思われます。材質に関しては毫鍼同様、陰気を補うか陽気を補うかによって使い分けをしていたとしたら、陰気を補うなら銀、陽気を補うなら金か銅、若しくはこれらを主とした合金ではないでしょうか。また毫針ほど簡単ではないでしょうが、意念で以て陰気と陽気のコントロールも可能でしょうし、意念の強い人なら形状に関係なく気をコントロール出来たかも知れません。

(右端)

「大鍼」

「九曰大鍼、長四寸。」(1)

「大鍼者、尖如梃、其鋒微員、以寫機關之水也。」(1)

「病水腫不能通關節者、取以大鍼。」(7)

「九者野也、野者人之節解皮膚之間也、淫邪流溢干身、如風水之状、而溜不能過於機

關大節者也。故爲之治鍼、令小大如挺、其鋒微員、以取大氣之不能過於關節者也。」(7

8)

「九曰大鍼、取法於鋒鍼、其鋒微員、長四寸、主取大氣不出關節者也。」(78)

・“挺”(1)にはテコ、ボウ、ツエなどの意味があります。

・“挺”(78)には抜くとか、引き出すという意味があります。

・“其鋒微員”(1)から鍼先の投影した形は山形で先端が少し丸くしたものでしょう。少し丸めというのは刺した痕が塞がらない為のもので、水を抜くのに都合がよかったのではないでしょうか。

・“機關”(1)とは関節のことをいうらしいく、“機關之水”とは関節内の水をいうようです。

・“取法於鋒鍼”(78)での鋒鍼は、ただ尖ったと言う意味での鋒鍼なのか、九鍼の中の鋒鍼ぐらいの太さという意味での鋒鍼なのか、どちらとも取れます。

 以上のことから考えると大鍼というのは、多くの注釈家が言われるように関節などに溜まった水邪を抜く為に使ったと思います。ゆえに微妙な気の流れなどは関係なく、刺した鍼の穴がしばらくの間塞がらないぐらい太いものであったと考えられます。長さ9センチ位、円柱状で太さは2ミリ位はあったのではないでしょうか。鍼先は円錐形、先端は丸く、竜頭側は平面に切ってあるものと思われます。材質に関しては深く考えなくてもいいと思います。

(上段左から4本目)

以上が、現時点に於いて私の考える九鍼です。この九鍼についてまとめ終えて感じていることがいくつか有ります。

   九鍼とは何?

一つは当時使われていた金属の種類や金属加工の技術に関しての正確な資料が分かれば、もう少し鮮明に九鍼の形が見え、おもしろいものになったと思われます。

二つは鍼は必ずしも刺さなければならないということはなく、接触だけで十分な鍼も有ることがわかりました。

三つは「内経」の中で言う治療の本質は「気」を調えることにあります。そして九鍼は気を基本とした治療法の発展過程の中で必然的に発生して来たものと思われているようですが、はたしてそうだったのでしょうか。

はじめにも言いましたが巫という人達の中で高いレベルの人にとっては、気をコントロールするのに道具を使う必要はなく、ましてや九種類もの鍼を使うこともなく、高度な治療をしていたと思われます。この意味で高いレベルの人にとっては九鍼という道具はあまり意味の有るものではなかったのではないでしょうか。

反対にレベルがそれ程高くない人にとっては九鍼を利用することによって、治療のレベルは上がったものと思われます。しかし高いレベルの人達が九鍼を使いこなすのに比べ、このようなは人達は九鍼にしがみついていたように思えます。

このように考えると九鍼を定めたことにより、医者のレベルはある一定のところで揃えられたとは思いますが、それが医療のレベルの向上につながったのか、病人にとって良かったのか考えさせられました。

四つは当時の思想を反映した為か九という数にこだわり過ぎではないかと思います。鋒鍼はヒ鍼で間に合うし、毫鍼と長鍼をわざわざ呼び方を変えなくても毫鍼の長さ、太さには種類があるものとすればいいし、ザン鍼と員鍼は材質を同じにすれば同じような効果を出せるし、また員鍼とテイ鍼も材質を同じにすれば、鍼先と竜頭側のどちらを皮膚に当てるかで、どちらにでも使えるように思えます。このようなことから九つの鍼が必ずしもすべて必要であったとは思えません。

                               以上

 

後漢時代の古墳色鮮やかな壁画

 中国陝西省考古研究所は29日までに、同省楡林市の靖辺県楊橋畔郷(村)で十基以上の古墳が発掘され、このうち1つの墓室から色鮮やかな壁画が見つかったことを明らかにした。出土した陶器や貨幣から、後漢(25~220年)時代の壁画とみられる。

 壁画は最上部に貴族とみられる墓主が描かれ昇天を題材にした絵のほか、当時の人々の生活を反映しえ、牛を使った耕作や舞踏の絵もあった。

 2005年6月に地元企業が古墳群を発見。同考古研究所と楡林市文物保護研究所が調査を進めていた。壁画があった墓室は高さ1.7~1.9㍍で、前室と後室を持ち、絵は前質の左右の壁面と後室の3つの壁面に描かれていた。

中国陝西省で発見された古墳の壁画に描かれた墓主(左)と「牛耕図」

                       

[1] 東洋医学の原典的書物『黄帝内経』の中にある九種類の鍼。

[2] 脈診といい東洋医学の診断法の一つで、手首の動脈を触れて体全体の状態を診る方法。

[3] 『黄帝内経』のこと。

[4] 体に害する気のこと。⇔正気

[5] 気功の専門用語で意識や思いと同義。

[6] 『黄帝内経』を素問と並び構成するもので、治療方法に関し詳しい解説をしている。

[7] 霊枢八十一編の中の第七十三編。

[8] 霊枢八十一編の中の第一編。

[9] 霊枢八十一編の中の第七編。

[10] 霊枢八十一編の中の第七十八編。

[11] 鍼において鍼先と反対側の端をいう。

[12] 陰陽に分けた陽で、体を構成している陽の気とも、邪気としての陽ともとらえられる。

[13] 東洋医学的治療の専門用語で、あるものを抜き取る、散らす、消滅さすなどの意味。ここでは抜き取る意味と考えられる。

[14] 皮膚に差し込むことなく、接触することで効果を得られる鍼。

[15] 中国における東洋医学の古典書。

[16] 日本における東洋医学の古典書。

[17] 毫鍼(刺す鍼)の使い方の一つで、刺した鍼を上下に雀がエサをついばむように動かす。

[18] 『黄帝内経』に関する最初の研究書で正式名は『黄帝内経太素』。

[19] 『黄帝内経太素』三十巻をまとめた。

[20] 治療のために鍼を刺すこと。

[21] 体の外から侵入してくる邪気のことで、外感六淫といって風、寒、湿、燥、暑、火の邪気をいう。

[22] 気の流れる道筋で、正経十二経、奇経八脈の併せて二十の経絡がある。

[23] 人の名。

[24] 先が三角錐の形で三辺に刃がつけてある鍼。

[25] 東洋医学における古典書で、皇甫謐によって著された