脈(寸口脈)をとっている時に、お腹のグル音と同時に起こる、脈の好転によく出会うことがあります。脈診をされる先生の場合、同じような経験をされておられることと思います。この脈の好転とグル音との関係について考察してみたいと思います。
【お腹のグル音とは】
グル音とは現代医学的な用語であります。「医学大辞典」(南山堂)でグル音をひくと、「腸管内に、ガスと液体が存し、これが蠕動を伴って移動するときに発する音である。厳密には、自然に発するものを、Borborygmusと称し、腸管を外部から圧して発する音はGurrenと称している。しかし、実際上は区別していない場合が多い。これで重要なのは、腸チフスの際に回盲部に触れるGurrenと、腸狭窄の際に起こるBorborygmusで、診断に役立つ。
鼓腸と穿孔性腹膜炎の鑑別でも、前者にのみGurrenが存在することが肝要である。」とあります。
【グル音と統一】
このように、西洋医学的には腸から発する音を、病的なものと生理的なものとに分けています。耳には聞こえないが聴診器なら聞こえるという大きさの音もありますが、これは生理的な音に入るでしょう。
東洋医学的には、この腸からの音を腸鳴とか腹中雷鳴といい、多くは手による押圧ではなく、自然な状態での音をいい、『内経』にはほとんどが病的な症状として上げられています。
当時、健康な状態での腹部からの音も認識していたと思われますので、腸鳴とか腹中雷鳴というものは、明確に病的と判断できるほど激しいものを指していったものと考えられます。
以上のように、お腹から発する音にはBorborygmus、Gurren、腸鳴、腹中雷鳴などの呼び方がありますが、ここでは激しく発せられる病的なものではなく、生理的なものに近い腹部から発する音のことをグル音と統一して進めてゆきたいと思います。
【脈診】
脈診に関しては、先生や流派により違った捉え方がありますので、ここで私たちの脈診というものを明確にしておきたいと思います。
脈の好転とは正気の増加
私たちは、脈の好転とは治療前に比べ治療後、脈中に正気が増えたことをいいます。脈幅や脈力が増えたものを、正気が増えたとみる場合もあります。が、必ずしもそうではなく、脈幅や脈力の増加は邪気が増えた場合にも現れ、脈幅と脈力の増加だけで正気の増加とは判定できないものと考えます。
古来より伝わる、28脈(中医、内経)や24脈(脈經)、16脈(類経)など、脈の分類にもいろいろあります。それらを大きく別けると、脈力の多いものと少ないものとに別けられ、脈力の少ないものは正気の虚、脈力の多いものは実と診ます。しかし、そのときの実は邪気の実であったり、正気の充実であったりで、明確に正邪を区別されていません。私たちは、ここをより明確にしたいという意識で臨んでいます。
これを切診や望診においての、皮膚と衛気とで例えると、皮膚は物理的に触れることができ、目で見ることができ、客観的に感じられます。
衛気は手で触れにくく、目でも見えにくいものであります。このとき、衛気を診るときの意識は、皮膚を診るときに比べ、より精度を上げなければなりません。
このような意識でもって脈を診ると、邪気は皮膚のようで感じ取りやすく、正気は衛気のようで感じ取りにくいものであり、邪気の実の裏には必ず正気の虚があることが分かります。
このときの裏というのは、臓腑の表裏関係でも、脈における浮沈でもありません。あくまで六部定位においての、同一部位内に正気と邪気とが混在しているということであります。
このような意識の中で、正気の増加を脈の好転とみます。
正気が増えると邪気が増えることがある
寸口における脈診は、身体の状態をセンサーによって感じ取ったものを、寸口部にモニターとして表し、それを見るようなものであります。モニターで正気の状態と邪気の状態を同時に診るのですが、センサーからモニターにつながっている配線(経絡など)も、実は正気の力によるものなので、正気が少ない時には配線も正確に機能せず、邪気があるのにその邪気の存在をモニターに表し切れないでいることがあるのです。
治療により正気が増え、正常な配線の機能が回復すると、モニターに表し切れなかった邪気の存在を表すようになることがあり、このようなときには、はじめ正気も邪気も感じられなかった脈に、正気が増えると同時に邪気の脈を表し出すことがあるのです。
このようなとき、邪気が増えたことに目が行ってしまうと、悪化と判断してしまいますが、実は身体は快方に向かっているのです。
また、センサーやモニターも正気の力によるため、虚のためにセンサーやモニターが正常に機能しない時にも同じようなことが起こります。
脈診における臓腑配当
寸口の脈診において、左右の寸・関・尺の六部に対する臓腑配当に関しては、いろいろ先人や流派によって違いがありますが、私たちは、右寸口を肺と大腸、関上を脾と胃、尺位を腎と膀胱、左寸口を心と小腸、関上を肝と胆、尺位を腎と膀胱と診、心包と三焦は心に含み左寸口で診ます。
浮位が腑で、沈位が臓という診方はせず、五行別に別け診断します。臓腑の分類は切経(前腕部・下腿部・井穴など)で行います。
また、五行別の経絡の気も関わる臓配当部に同時に反映されるので、臓腑経絡の気を診ているといえます。ただ、経絡は直なるもの、支なるもの、また経別、十五絡など、複数の経路があるため、微細な気の不通や陳久化したものは、脈に反映されないこともあります。
寸関尺で上中下を診る
寸口脈の寸・関・尺で、身体の頭から足にかけての上・中・下を診ます。すなわち、頭、顔、上肢を含む胸より上は寸口で、躯幹の胸郭の下より臍までの部分は関上で、下肢を含む臍より下は尺位で診ます。
左右の脈は、身体の左右を診る
右側の脈で身体の右側の気の状態を診、左側の脈で身体の左側の気の状態を大雑把に診ます。同じ経絡でも上と下とでは左右が入れ替わって虚実を呈することもあります。
浮沈で病の深浅を診る
脈の浮沈では、身体の中での正気の深浅の位置をみます。すなわち、脈が浮いていると、表寒などの初期で邪正闘争は表にあり、正気の中心は表にあるということであり、脈が沈んでいるということは、食傷などで邪正闘争が裏にあり、正気の中心は裏にあるということであります。
真臓脈
虚が著しい臓があれば臓腑配当された寸・関・尺に関係なく、その臓の真臓の脈が、他の臓の定位置にも現れます。
一般に真臓の脈は危機的な状態のときにしか出現しないと言われていますが、ある程度悪くなれば正気の脈を含みながらも真臓脈は出現するようであります。
以上のような脈の捉え方で進めさせていただきます。
【正気は胃之気】
「内経」には、胃之気が五臓六腑、十二経絡などと深く関わり、胃之気は正気と、多くのところで述べられております。また、脈診においても胃之気が深く関わっているとあります。その原文の幾つかを次に挙げます。
素問 五藏別論篇第十一
「胃者水穀之海.六府之大源也.」
素問 平人気象論篇第十八
「平人之常気稟干胃、胃者、平人之常気也、人無胃気曰逆、逆者死」
「人以水谷為本、故人絶水谷則死、脈無胃気亦死。所謂無胃気者、但得真臓脈不得胃気也。所謂脈不得胃気者、肝不弦腎不石也」
素問 玉機眞藏論篇第十九
「黄帝曰.見眞藏曰死.何也.岐伯曰.五藏者.皆稟氣於胃.胃者五藏之本也.藏氣者.不能自致於手太陰.必因於胃氣.乃至於手太陰也.故五藏各以其時自爲.而至於手太陰也.故邪氣勝者.精氣衰也.故病甚者.胃氣不能與之倶至於手太陰.故眞藏之氣獨見.獨見者.病勝藏也.故曰死.」
素問 熱論篇第三十一.
「陽明者.十二經脉之長也.」
素問 逆調論篇第三十四
「陽明者胃脉也.胃者六府之海.」
素問 痿論篇第四十四.
「帝曰.如夫子言可矣.論言.治痿者獨取陽明.何也.岐伯曰.陽明者.五藏六府之海.
主閏宗筋.宗筋主束骨而利機關也.」
霊枢 本輸第二.
「大腸小腸.皆屬于胃.是足陽明也」
霊枢 經水第十二.
「岐伯答曰.足陽明.五藏六府之海也.」
霊枢 五味第五十六.
「伯高曰.胃者.五藏六府之海也.水穀皆入于胃.五藏六府.皆稟氣于胃.」
霊枢 玉版第六十.
「黄帝曰.願卒聞之.岐伯曰.人之所受氣者.穀也.穀之所注者.胃也.胃者.水穀氣
血之海也.」
霊枢 動輸第六十二.
「黄帝曰.經脉十二.而手太陰.足少陰陽明.獨動不休.何也.岐伯曰.是明胃脉也.胃爲五藏六府之海.」
以上のことから「胃之気は正気」といえます。そして、次のようなことが考えられます。
【十二経絡臓腑は、腹部に表れる】
十二臓腑、十二経脈、十二経別、十二経筋、十二の絡は、十二種類の系列を為していて、十二種類別につなっていることは承知の事実であります。十二の系列は、系列ごとに同種の気が流れ、この十二の系列の気で人体は網羅されています。
そして何らかの形で、十二の系列のすべてが腹部を通過、もしくは腹部と関わっています。十二種類に系統だって別けられたものは、気の増減ということでも同じであり、同系列の一部が腹部を通過、または関わるということで、系列の中での気の増減が腹部においても同じであるのです。
【グル音は胃の変化】
グル音は「医学大辞典」でいうように、腹部において、中空の中を気体や液体が流れる音であり、他にグル音の発生源があるとは考えにくく、東洋医学的に体内で中空のものといえば、腑であり、「陽明者胃脉也.胃者六府之海.」・「大腸小腸.皆屬于胃.是足陽明也」などから、腑を代表するものは胃であり、グル音は胃の変化といえます。
【グル音は五臓六腑・十二経絡の変化】
グル音は胃の変化であることに加えて、「陽明者.十二經脉之長也.」・「岐伯答曰.足陽明.五藏六府之海也.」などからグル音は五臓六腑・十二経絡の変化ともいえます。
【症状は正気の充実と、正気が皆無の間で現れる】
病的症状というのは、正気が充実して健康なときには出現せず、正気が減少して何らかの対処を求めて身体が発する信号であります。脈診のところでも述べましたが、正気が減少しすぎるとモニターもセンサーも配線も機能しなくなり、症状を出さなければならないのに症状を出せないことになります。
このような状態のときに、正気が増えるとモニターやセンサー、配線も正常に機能しだし、正しい信号として症状が出てくるようになります。病的症状でありながら身体が良くなる過程に出るという複雑さが生体にはあるのです。
グル音を病的な症状と考えたとしても、正気の回復過程に出現しても不思議なことではないのです。
【補法とは】
東洋医学的治療は、補法と瀉法の二つに大別できますが、ここでは補法を主とした治療を検証の材料としてゆきたいと思います。
瀉法をすることで気が巡りだし、気が足らなかったところにも気が巡り、部分的に正気が増えるという込み入った補法ではなく、純然たる補法、すなわち治療前より治療後には体内の正気の絶対量が増えているという意味での補法であります。
【補法の治療】
私たちの使う鍼は、すべてが接触鍼であり、直径が数ミリあり、先端は鋭利ではなく、押圧をかけても鍼痕が付くことがないので、気が漏れるようなことはありません。また、鍼自体に気を補う働きがあり、余程、正気を吸う状態に術者がない限り補法の治療になるものであります。加えて、気を五行別の五種類の色で別け、五行別の補法ができるものです。
このような道具立てで、五行別の補法の治療をすることで追試を重ねました。
【脈の好転とグル音は正気の増加でつながる】
以上のことをまとめると、十二経絡の一つに対して正気をツボに補う治療をすることによって、関わる系列の正気が増え、腹部を通過する経絡の気も増し、低下していた腸の動きが活発になり、内容物が動きだしグル音を発するようになると考えられます。
これに私たちの経験を加えると、胃という意味で現代医学的消化器系すべてが同じように動くのではなく、経絡が通過する腸(現代医学的)の一部が中心に動くようであります。
脈もまた、関わる系列の気の状態を反映するもの故に、正気が増えればそれに関わる脈に好転をみます。その脈の好転は徐々に変化する場合と、グル音と同時に突然と変化する場合があります。
施術後、脈の好転とグル音が生じるまでにタイムラグがある場合について次に考察します。
【経絡の圧迫は脈を悪くする】
経絡は圧迫されると硬くなり、正気も減少し虚の脈を呈します。私どもは実験に輪ゴムを両手でピンッと張り、太白あたりの脾の経絡に直角に経絡を遮断するように当て、押圧をかけた時の脈の変化を調べました。結果、押圧をかける前に比べ押圧後は右関上の脈が硬くなり正気の減少をみました。
このような方法で他の経絡も試してみると、同じように邪気の増加と正気の虚に変化することを体験し、押圧を開放すると元に戻りました。
このような事は、臨床の中ではブラジャーなどの下着の締めすぎで経験はしていますが、改めて経絡の圧迫は経気の流れを悪くし、脈に如実に現われることを再認識した次第です。
【タイムラグは何故】
腸の中に内容物が多量に存在し、それが原因でそこを通過する経絡を圧迫し、経気の不通がある場合、正気を増やし続けても、そこの内容物が動くまで経気の流れはよくなりません。正気が内容物を動かせる程に増えた時、内容物が動いてはじめて脈の好転とグル音をみるものと思われます。
【一つの診断法になる】
東洋医学の初心者などで、施術後の効果判定を脈診などでは難しいという方にとっては、グル音の有無によってある程度の治療の判定に使えるのではないでしょうか。
瀉したがために冷やしてしまい、腸鳴が頻繁に起きることもありますが、慣れてくれば正気が増えてのグル音と、正気を損なった腸鳴との区別は可能であります。
また病が重く正気の虚が著しい時には、正気を補ってもグル音が生じるほどの補法になっていないこともあり、反対に病が軽く正気の虚も軽いときには、治療による回復も早くグル音が聞こえやすいものです。全く健康な人の場合は、正気を増やしたところで大した変化も生じないのでグル音も聞かれません。
このようなことを意識しながらグル音を聞くと、治療前の診断には使えませんが、効果判定の補助ぐらいには使えるのではないでしょうか。
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