気の毉学における診察と診断についての一考察

【はじめに】

「診察中、患者の気の状態は変化するのか?」

読者の皆さんは考えたことはないだろうか?これは診断そして治療へ直接、関係する内容である。

今回、診察中における気の変化について私見を述べさせていただきたい。初めに言葉の説明を述べておく。東洋医学は周知のとおり、「気の毉学」とも呼ばれている。気の毉学は「人の肉体と精神の状態は、患者の気の状態を診ることで判断することが可能となる。そして、気の状態を調整することで、肉体と精神とを健全な方向へ向けることができる」という前提のうえに成り立つ。次に診断である。診断とは「治療目標設定のための行為」といえる。つまり、「この患者の病因は何か。どんな治療や養生指導をすれば効果的か、を見極めるための行為」である。

私は治療者の診察を初めとする、さまざまな内容により、患者の気の状態が変化する、と認識している。この認識は実際の患者へ、気を最大限に意識した診察法や治療法[1]を行ってきた多くの経験から得られたものである。

 

【患者の気の状態を変える内容:気の毉学の現実】

これらの経験から得られた、患者の気に影響を及ぼす内容について述べていく。

患者の受療までの流れを考えてみよう。まず、患者が治療院へ訪れる。このとき影響を及ぼす内容として治療院の形状がある。また治療院が建つ土地の凹凸、加えて治療院の建築材料やにおい、室温や湿度、さらには音環境なども含まれる。そして治療者と出会い治療者の思いや意識に影響を受ける。

そして治療者の体調(正気の有無)である。これは治療者の衛気(正気の一部)が深く関係する。これらは診察中から治療中のすべてに及ぶ。それから望診、聞診、問診を経て切診である。切診での脉診、そして切経ともいう手足の経絡診、腹診、背部腧穴診など、治療者が患者へ直接、触れる診察法により、治療者と患者の気の交流が生じる。これが患者の気へ大きな影響を及ぼす。例えば、治療者が自身の体調の悪さ(正気の少なさ)を意識せずに患者の脉を診たり、背部や腹部、手足に触れると、治療者が患者の正気を吸ってしまう。そのため患者は正気虚を起こし、患者の体調悪化や症状悪化、病態悪化を引き起こす。加えて正気虚の程度がひどくなると、症状すら表出することができず、症状消失に至る場合もある。本論で使う正気とは、人が生きるために必要なすべての気とする。反対に元気がある、つまり正気が充実している治療者が患者の体へ触れると、治療者の正気が患者へ移動する。そこで患者は正気が増し、患者の体調・症状・病態の改善が生じる。患者の正気虚が著しい場合は、患者の正気が増すことで症状を表出することができるようになり、症状の出現や増悪が表れる場合もある。

さらに治療者のもともとの体力の有無である。これは正気の有無といってよい。体力のある治療者は患者へ触れるだけで気の伝播が生じ、治す力となる。反対に治療者の体力が少ないと患者は治す力を得られない。また治療者の体力が極端に少ない場合は、治療者が患者の正気を吸ってしまい、患者を悪化させてしまうことになる。この体力の有無は、体格とは関係がない。体格が良い治療者でも、体力が少ない場合もある。また体格が劣る治療者でも、しっかりとした体力を持つ場合もある。陰陽論を画一的に用いないことである。

最後に意識についてである。「治せない」という自信のなさや、表面上は自信を持つが、潜在意識で「治せないかもしれない」という意識を持つときは、患者を治す力にならない。反対に「治したい」という強い思いや、「治って当然」という強い自信や信念は、治療者の思い通りの気の変化を起こすことが多い。しかし、これらの強い思いや自信、信念に邪念が入っている場合、治療者の気は濁った気となり、患者へ悪影響を与える。ただし、患者の意識と治療者の意識が同じ種類の場合、邪念の有無に関わらず、症状の好転をもたらす場合もある。私が最上とするのは恬淡虚無である。治療者の意識を恬淡虚無にできれば、治療の場の気を良い気へ変えることになる。それだけでも、その場の中にいる患者の気も増える。

このように診察中も患者の気の状態はどんどんと変化していくものである。

『黄帝内経霊枢』「官能篇第七十三」に「手毒者」「手甘者」の記載がある。これにはいくつもの解釈があると思うが、私は「手毒者」は「患者へ悪影響を及ぼす治療者」、「手甘者」は「患者へ好影響を及ぼす治療者」と解釈する。「手毒者」を「手甘者」へ変えるためには、上述した内容に気付き、自分に不足しているところを少しでも改善していく心構えと行為が必要であろう。

このように治療院環境や治療者の体の状態、意識の状態が改善して、「手甘者」の状態で患者の悪いところが改善するものは大した失調ではない。私は「手甘者」の状態にしてもなお、治らない体の偏りを診断し治療する。

 

【正邪脉診法】

上記のような目まぐるしい気の変化を知るために、私は脉診を用いている。この気の変化を捉えるための脉診は、指の触覚による脉診ではなく、脉中に存在する正気と邪気を直接的に診る正邪脉診法である[2]

正邪脉診法を行ううえで大切なことは、治療者の意識である。心持ちと言っても良い。脉診を行うとき、思い込みや反対に自信のなさを意識するのではなく、治療者の意識を恬淡虚無にすることである。すると正気と邪気、特に正気の状態を感じられるようになる。

 

【気の毉学の学び方】

以上のような気の状態を把握して行う気の毉学は、気を正確に感じることができて、初めて成立するものである。とはいえ、人には気を感じる感覚の有無とその程度により、気の感覚が分かる者、鋭敏な者、分からない者などが存在する。分かる者や鋭敏な者にも、自分の思い込みを感じている場合など、的を射ていない者も多い。また今、分からない者がダメである、こともない。理想は感じている気の種類や状態が正確であることである。

気の感受能力は修練が大事である。姿勢や呼吸、治療者の思いや意識などを整え、修練すること[3]で今、分からない者はいずれ分かるようになる。そして的を射ていない者も修復され、正確に分かるようになる。

 

今回、気の毉学の実際を軸として、診察と診断について私論を述べた。加えて気の状態を知るための正邪脉診法、気の医学の学び方についても記載した。少しでも皆様の役に立てれば幸甚である。

 

 

柿田塾

塾長 柿田秀明

学術部長 伊藤和真

[1] 著者は自作の鍉鍼である「五行鍼(パワーステック)」にて治療を行っている。

この五行鍼は厳選した紙と大きさで作成していて、その形状と色で臓腑経絡別に正気を補う作用が大きく気の去来も感じやすい。五行鍼は柿田流における、経穴施術時に生じる気の変化を体感訓練するための道具として開発したものである。補気用具としても、これに勝るものがないので現在、治療にも用いている。

柿田秀明「五行鍼(ごぎょうしん)の活用」『漢方の臨床』45巻,11号(1998),pp.235-243.

 

[2] 柿田秀明「化学物質過敏症の治療」『医道の日本』66巻,2号(2007),pp.98-101.

「脈診の研究会紹介 柿田塾」『医道の日本』75巻,9号(2016),pp.34-35.

 

[3] 次の文献も参考となる。

柿田秀明「医は心病まず」『医道の日本』77巻,10号(2018),pp.74-76